。ごく上等の酒を、思い切って多く用いるのがよい。
なべ料理は材料が主としてさかななので、だしにはかつおぶしより昆布《こぶ》のほうがよい。「なべ料理」は出来たて、煮たてと、すべてが新鮮だからいいので、おでん屋というものがはやるのも、ここに一因があるわけだ。あれは決して料理がいいからはやるのではない。あの安料理のおでんが美味《うま》いのは、つまり、出来たてを待っていて食うというところにあるので、実際は美味いものでもなんでもないのである。舌を焼くような出来たてのものを食べるから、おでんは美味いものと評判になってはいるが、その実、粗末《そまつ》な食物なのだ。
粗末なおでんすら、出来たて故《ゆえ》に私たちの味覚をよろこばすのであるから、お座敷おでんといえる「なべ料理」は、相当の満足を与えるに相違ない。私はおでんもてんぷらも、立ち食いをした経験をもっているから、その味がおよそどんなものだか分っている。ところが、私の考えているなべ料理となると、それらとは、はるかに距離のある高級なものである。その方法は、創作的に、独創的にやられればよい。
なべ料理は、気のおけぬごく懇意《こんい》な間柄の人を招いて、和気あいあい、家族的に賑々《にぎにぎ》しくつきあうような場合にふさわしい家庭料理といえよう。
次につくり方、食べ方の要領をお話ししよう。たいを煮ると仮定しよう。三人か五人で食べるなべだとすれば、その人数が一回食べるだけの分量のたいを煮る。煮えたらそれをすっかり上げてしまう。次に野菜を入れる。たいの頭《かしら》などは、よくスープを出すからだし[#「だし」に傍点]がふえる。ところが野菜はだしを吸収する。そういう材料の性質をみて、だしの出るもの、だしを吸うものを交互に入れて煮るというふうにする。そうして一回ごとになべの中をきれいに片付けて、最後まで新鮮な料理が食べられるようにする。食べ方にもこのような工夫がいる。
私は「なべ料理」の材料の盛り方ひとつにしても、生け花と寸分違わないと思っている。生け花というのは、自然の草や木を、自然にあるままに活かそうというので、そのためにいろいろ工夫をする。料理も自然、天然の材料を人間の味覚に満足を与えるように活かし、その上、目もよろこばせ、愉《たの》しませる美しさを発揮さすべきだと思う。そのこころの働かせ方は、花を活けることとなんらの違いもない。
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