いうので、ただやわらかくつくることをもって能事のようにしてしまう。もう一つは経済的事情からか安ければよいということがモットーとなって、結局イカサマものを作り出して金高を張らせないように研究する。これは本当には決して安いということにはならない。金高はなるほど低いが品そのものがインチキなのだから、かしわを買っても本当のかしわの味をもっていない。だから実はかえって高いものである。そこで料理の方では、材料の選択はますますむずかしいということになっている。けれども一般がそういうインチキもので気が済むというのは、みながほんものを知らず、また知っていても、いつしかそれに慣らされて、あえて不審がらなくなっていくためであろう。こうしてよいものがだんだんわからなくなり、従って、またよいものがなくなっていくということは、いかにも残念なことといわねばならぬ。

       *

 近頃帝室博物館が熱心に勉強しだして陳列品をどしどし転換し、いいものを次から次へと陳列して見せてくれるようになった。これにとびついて見るのは美術家、すなわち画家や彫刻家にあるわけだが、実際に見に行く美術家はきわめて少ない。いやしくも
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