瞬時の中《うち》に、事、志と違うようでは遺憾ではないか。諸氏はなにが故にかくも揃って苦い経験を作陶の上に舐《な》められるのであろう。
 私にいわしむるならば、それは別段とくに不思議な因縁があったわけではない。思いもよらざる事柄が飛び出して挫折《ざせつ》したわけでもないのだ。つまりは諸氏の望みと諸氏の用意との間に齟齬《そご》があったのである。諸氏はいよいよ作陶に取りかかるというその日までにどれだけの用意があったであろう。作陶上に必要な教養をなにほど修めておいたか、またどれくらいの作陶経験を有していたか、私は率直にいってみるが「諸氏はおそらくなんの用意もまったくなかったのではないか」と、この点については諸氏の固有する才能そのものが自己を打つところの、持った棒となりおわったのではないか。
 焼物師には出来ないが俺が俺の家で指導したら、工夫したら、聡明な考え方をもってしたら、染付、赤絵、九谷、瀬戸、唐津、朝鮮、中国、なにほどのことやあらん。俺だ……俺だ……俺の頭だ、俺の知識だ、俺は鬼だ、金棒さえ振りゃなんだって出来得ないことがあるか、金棒というのは焼物師のことだ、焼物師、俺につけ……こんなふう
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