の理由を具体的に出来得るかぎり読者、否、翁が心の底から得心されるべく述べたてて翁の廃窯に未練なからしめんと考えているのである。それには御迷惑でも住友寛一氏の製陶失敗例も出ようし、頼母木《たのもぎ》桂吉氏の九谷窯? の話も自然出さないわけにはいかないであろう。が止むを得ざるかかわり合いとしてお許しを願いたい。蓋《けだ》し故意に悪口を弄《ろう》するわけでないことはもちろんである。この点、なにかの御参考にならないものでもないとして、しばらく御判読を希望して止まない。

      (二)

 なぜ素人は窯を築いてはいけないのか、……これが答えはいうまでもなく、それは所詮出来ない相談であるからだと、私はいつもの憎まれ口をききたいのである。とはいってもその人の、望みの大きさ次第では一概にいって退《の》けたものでもないが、少なくとも前山翁のような好者であってはその望むところの最後のものが大きいとしなければならないから、要は出来ない相談だといわざるを得ないのである。伊賀に手をつけた某氏にしても住友、岩崎なんという富者にしても、頼母木氏のような好みの人々にしても所詮は出来ない相談である。これらはいずれもが、漫然出来得ると軽率にも誤認し、それを空《むな》しく求めているだけだと、私の常識と経験はいつでも断言を吝《おし》まないのである。
 これについて私は余計なことをと、他の誹《そし》りあることをよく知りながら、ぜひともこの問題を解剖し解決しようためにその仔細を開陳したいのである。それについて引例を便宜上前山さんにとることは、先の失敗もあることゆえ私はよほど考えたのであるが、かつて素人窯を築いた如上の人々の中で現在なおかつ、窯事の研究に没頭していられるのは前山久吉翁一人であるからいわば人身御供《ひとみごくう》に上らされたわけである。あえて翁を相手に戦うのでないことだけは翁においても諒承《りょうしょう》されたい。
 住友さんについてはどんな望みをもって製陶に臨まれたか、私はよく知悉《ちしつ》しない……が、氏は篆刻を鉄城に学んでみ、あるいは富岡鉄斎翁の画を臨写してみずから発表するなど一方ならぬ趣味人であり、かつまた清湘老人の画に巨金を投じて複製を世に配した位の好者でありする点から見て、その望まれる陶磁器もそのネライが奈辺《なへん》いかなるところにあるかは察するに難くないが、いずれにしても氏は
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