なとつくづく考えたのであった。
しかし、私に余計なからかい気分の邪魔があったに違いないとしても、私が忠告の真意は誠実であって、私は心から、鑑賞家として聞こえある前山さんに築窯と製陶を止めさしたかったのである。これには今もって毛頭の偽りもなければ寸毫《すんごう》のからかい気分もない。
なぜかといえば、いうまでもなく前山さんに轆轤を廻すつもりがないことも、廻せる可能の有無も私には分りきっていたからである。
自分が造らなければ誰が造る。いわずと知れた職人が造るまでではないか。それでは前山久吉翁作ではなくて、久吉翁指図、職人某々作とならざるを得ない。これをお庭焼といってもよいが、職工がたった一人のさびしいお庭焼は取るにも足らんではないか、さらでだにお庭焼と称する物にさしたる名品が生まれていないことは前山さんとてとくと御存じである。これが私の忠言となって彼にとっては不服な刺激をもって迫ることになったゆえんだ。
翁にいわすれば……否、現に前山さんが私に三越楼上で放言した一節を紹介すると……君遠州だっていちいち自分で茶杓《ちゃしゃく》を削りゃしないよ。皆職人に作らしたものだ。指導だ……指導だ……指図次第で出来るよ。この一言で私の陶製観をやっつけ得られるつもりらしく平気で怒号されたのだが、なにがなんとしても前山さんの芸術無理解の実体が人前にさらけ出されるまでで、一向に私をやっつける痛棒にはならなかった。しかも笑止に終わってしまわざるを得なかった。ここで私の卑見を披瀝すると、
[#ここから1字下げ、折り返して3字下げ]
一、前山さんの第一の錯覚は一代の小堀遠州宗甫と御自分を同等に扱われたこと。
一、職人は職人でも遠州時代の職人と今日この頃、しかもそこばくのことでいいなりになってくれる職人とはその質が違う、腕が違う、心が違うという点に不注意であったこと。
[#ここで字下げ終わり]
そしてその前山さんが陶製上の予備知識を絶無とはいわないが殆どというも過言ではないほど斯道《しどう》知識をもたれなかったこと。
これらが私をして前山さんに製陶計画抑止の勧告を余儀なくせしめたゆえんなのであった。
これだけでは、不遜《ふそん》魯山人、未だに人を馬鹿にしよると翁をしてまたしても激怒さすことになるやも知れないが、私は行き届かないながらも、これより順々徐々……「素人製陶本窯を築くべからず」
前へ
次へ
全14ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北大路 魯山人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング