く紳士的であるとしてもないとしても、かなりに目のよく利く好者であることは、私の睹《み》る目をもってしても間違いは無いつもりである。
 この一事をもって考えるとしても、翁たる者進んで廃窯の道を採るの挙がいかに賢明であり、いかに人物を大きくすることか分らない。人間は我もある程度に必要である……が、土俵割るも未だ負けを承服しないという田舎角力であってはならない。勝ちは勝ち、負けは負けと水の流れるごとく素直でなくてはよくあるまい。勝ち必ずしも名誉とはかぎらない。負け必ずしも不面目とはかぎらない。や、これはこれは失礼、うかうか、釈迦に説法……脱線の儀は平に平に謝し奉る。

      (四)

 またしても前山久吉翁の製陶遊戯を引例して恐縮に堪えないと思っている。これはことによると、誤解の生ずる惟《こ》れなしと保険はつけられない程度に危険があって、自分も懸念しないわけではないが、現在、窯をもって理想的に名陶を作り出さんとし、もっぱらその成功を望んでいられる関係上、自然と風向きがその方に趣《おもむ》くのはまことに止むを得ないことである。これが前山翁であるがための引例でないことはもとよりいうまでもない。この点は翁みずからも充分了解していただけるものと信じ、しばらく素人本窯築くべからずの参考資料に上っていただく。

 さて、前山翁最初の製陶目的は彼《か》の偉材仁清であったらしい。まず仁清ふうを工人に轆轤させてと考えられ、次に絵付けとなる、と考えるにも考えられたもので美校生を招かれたという。このことはよく美校の校長に擬せられ、とかくの話題に上る某日本画教授の口から私が聞いた話である。
 私はこれを知って翁のために同情もすれば、苦笑もした。翁は仁清という大天才をなんと解していられるのかは知らないのだが、仁清ほどの特異な実在を再び造り出さんと自負する大望の翁が、一美校生を招きそれに仁清ふうの絵付けを託し、もって目的を達せんとせられたのはなんとしても認識を具《そな》えた所業と受け取ることは出来なかった。みずから翁らにしてみれば今の陶画工では清水坂以上の仁清は描き得べくもない。
 それには美校の生徒をもってすれば、職工と違い指導次第では理解も出来、卑しからざる絵が出来よう、本歌を見せて語れば成功疑いなし、と……こう考えられ自分ながら妙案明知が創見されたごとくホクソ笑まれたらしい。果たしてそう
前へ 次へ
全14ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北大路 魯山人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング