であるならば私らの見るところとして、この場合の翁の処置妙案? は申しようもない、恐ろしい矛盾と錯覚からなる、非常識な創見を発揮したものとみなさざるを得ない。
いやしくも日本陶芸史上ゆゆしき陶芸作家として日本の誇りとし日本の国宝とする仁清は、憚り多いことをいうようだが、翁のように今の今まで陶磁製作上無関心者であって、その気まぐれ、ちょっとしたはずみの出来心から名工仁清が浮かび出ようはずのないことは火を見るより明らかであるとせねばならぬ。況やたかが美校学生の画力で彼の仁清を再現しようなどとは思いもよらぬ妄想である。
仁清というものそんなにたやすいものであるならば、さほどあり難いものではないという結論が当然と生まれはしないだろうか。それならば、わざわざそれが再現を期すべく努力を払う行為はこれまた矛盾の誹りを免がれないであろう。
僭越ながら私の経験から語れば、今日現存の轆轤工に仁清を解するものないこと、工作する者のなきことは誰に憚るところもなく断言し得られる。絵付けにおいてもまたそれと同じ意味を繰り返し決して不可ないと考えられるのである。一美校の学生はもとより、これが教授であろうが、他の大家達であろうが、それらの人たちの筆からは、仁清が生まれようはずのないことはあまりにも保証される。それはすべての現代新画が、如実に内容貧弱を物語っていることで分る。このうち、強いて適者? として抜擢《ばってき》するならば靭彦《ゆきひこ》、古径両氏の筆技と人品であろう。またしてもしばしば余談にわたることを謝すが、遠慮なくいうならば今の画人の絵というものはいわば体裁よき表面があるのみであって、芸術上必須の条件となるべきよき内容を有するものは見当たらない現状である。例えば、それは生花、挿花の美しさである。一見「根」あるものと区別を分たざる美しさを示してはいるが、もとより「根」あるものはないから、いかに美しくも実を結ぶべくもないと同様である。仁清は日本に純日本ふう彩色の製作陶未だ生まれざる今から約三百年前において初めて製作成功を収め、他方いずれもが朝鮮、中国の著しい影響を蒙《こうむ》らざるものなき当時にあって、にわかに彼一人がぜんぜん朝鮮、中国の存在を夢にも知らざるもののごとく、純日本単味の製作陶を創作し得たという偉材であった。その絵、その轆轤、その図案、ただただ仁清という一大芸術的特色、一大
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