美食として大きな働きをするのでなく、天然の味を生かして味わうことが根本的となるわけだ。複雑な調味料や複雑な調理法は、日本料理に無用な場合が多い。
こういうと、きわめて日本料理は簡単に考えられるが、この天与の天味を味わうということは、たかなかむずかしい。それはこれを知るひとがきわめて少ない一事で、かように断ぜられる。
西洋料理のごとく中国料理のごとく、人間の取り繕った味というものは大衆に分りやすい。だが分りそうで分り難いのは、前いったように天然の味を知ることだ。
一般に分り難い天然味と大衆に分りやすい人工味
天然の持ち味は実にその数が多い。千種の魚があるとすれば、千の異なった持ち味がある。万の野菜があるとするならば万種の持ち味がある。これをいちいち味わって身につけることは、なんでもないようであって容易ではない。いわんや、それをいちいち生かすことにおいてをやだ。そこへゆくと料理法で、ひとの作った味は、その数にもかぎりがあってきわめて容易だ。数からいってもまったく覚えやすい。また、同じ人間仲間の作ったものであるだけに、直接親しみやすいところがある。そのせいか、たいてい
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