されない。用あるものは、ことごとくその用を使い果たすところに天命があるのだと思う。
昨夜も遅くまで来客があった。当然残肴が出たわけだが、今朝ひょいと芥溜《ごみため》をのぞくと、堀川牛蒡《ほりかわごぼう》その他がそっくりそのまま捨ててある。せっかく苦心して、うまくこしらえた高級野菜である。たいていの魚よりはよほど珍しく、珍重するに価する京都牛蒡が捨て去られてしまっている。女中に注意深い者でもいれば、こんなことはしなかったであろうに。料理人たるもの、いかに若いとはいえ、このようなことに無頓着であってはならない。
堀川牛蒡というものは、茶味があり雅味がある。その上、口の中にカスが残らないという特徴をもっている。見かけが素人好みの美しさでないために、お客によっては、どんなにうまいものか知らないで、手をつけない場合もある。いったん客席に出されたものとはいい条、まるきり手をつけないまんま捨て去ったりしないで、後から賞味するくらいの道楽気があってほしいものだ。
残肴には見るに忍びないほど傷められてくるものもあるが、多数の来客のある忙しい日になると、ぜんぜん手のつかないものも多くなってくる。
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