くさん段があると思います。そこでここに至って初めて真の芸術であって、ここから少し外れるともう芸術的になってしまう。ここに例えば推古仏があるとしましたら、法隆寺あたりがここにある。周文あたりがこんなところにいる。蕪村とか、応挙とか、こんなところにまごまごしているというようなことになって、ここまでなかなかいかない。つまりこれは芸術的だから芸術品としてさしつかえありませぬ。そこでこの頃例えば、お差し障りがあったら失礼いたしますが院展なら院展、帝展なら帝展に絵が出ます。あの作者を仮に個人的にどこかで人に紹介します場合に、なんといいますかというと、これは院展に出品しているとか、帝展の特選になっているとか、審査員であるとか、芸術家であるとかいって紹介している。紹介された人も芸術家扱いしている。それはしかし芸術家であって、芸術を生む人とは必ずしもかぎらない。帝展とか、院展とか二科展に出品するところの多くの絵描きを芸術家だという。この人はなにしている人かと一言にしていう時に芸術家だといっている。それなら芸術家という人が芸術を生むかというと、それは芸術家と称する人であって、生むことがあるかもわからぬとい
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