と、そうはいかない、御承知の通り牧谿《もっけい》だとか、あるいは芸阿弥《げいあみ》だとか、相阿弥《そうあみ》というような絵はいわゆる墨画でありますが、原料でいえばそんなものはいくらほどのものでもないと思うが、やはりそれが何万、何十万円今日しております。それとやはり同じ道理で、原料によるわけでないということはいうまでもないことだろうと思います。
そうすると今日高い価をしている古陶磁というものはそんならなぜそんなに高いのかといえば、それはいうまでもなく芸術的価値があるからであります。芸術的価値というと、それならどういうことかということになりますが、近頃はこの芸術という二字が非常に濫用されまして、ちょっと女優が踊を踊っても芸術、流行歌をレコードへ入れてもそれが芸術だという、そんなことになってくると芸術は大分解し難いことになるのでありますが、芸術といっても端的に一つじゃない。それは、的《まと》だということがいい得ると思います。それでいま古陶磁の場合でいいますと、古陶磁のよいものはやはり芸術的生命がある。それと同時に美術的生命がある。もう一ついいますれば、それは美術だ。美術品として尊い価値があ
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