る。そこで大体において古い物は間違いのない相場がついているようであります。それはなにによって相場がついているかというと、やはり今申し上げたように美術上の価値、美術的にそれだけの価値があるということ、そこで美術と申しますと、この頃は工芸美術とかいうような言葉が盛んに流布されておりますが、また一面には純正美術という言葉もありますが、純正美術と工芸美術とどう一体違うかといいますと、これは簡単に申しますと、工芸美術と申しておりますのは、職工的であるということ、それから純正美術だと申しておりますのは、芸術的であるといってよいと思います。
それで、それならばどうしてそういうようなものを区別するのかということになりますが、それも故ないこともないと思うのであります。同じ美術に致しましても、一方は芸術的であり、一方は職工的であるというようなことがいえるのでありまして、よく何々的と申しますが、的ということはとりもなおさず「まと」ということでありまして、これは弓やなにかを引きます時に的《まと》がありますが、これが芸術の一つの的である。ところが弓を引きます時に芸術に向かって弓を引くのもあります。それから職工的に弓を引きますのと二つありまして、世間でいいますところの芸というものは初めからこの的を目指してやっているのであります。それから例えば帝展とか、院展とかの絵とか、彫刻というものは初めから芸術的と職工的、これを目指していっているのであります。それでこの芸術的というのは主として心的とか、あるいは熱的とかいう内容を持っている。芸術はとりもなおさず内容を主とするものである。外貌《がいぼう》じゃない、それで絵でも御承知の通り今もっともやかましくいわれておりますようなものには、一般に御承知の法隆寺の壁画でありますとか、あるいは推古仏とかいうようなものでありますとか、尊いものがありますが、それらは主として内容が尊いのであります。もとより一つの工作でありますから技術もあります。理知も働いております。けれども価値の主なるものはこの内容が尊い。それに引き比べまして職工的の方は外貌、外側の非常によく見えるように理知的に工夫する。例えば極端な例をあげましたら、箱根細工のようなものは、ちょっと出来ないような木を組合わせた緻密《ちみつ》な細工がしてあります。そういうようなものは、どこまで進んで行っても職工的であっ
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