と、そうはいかない、御承知の通り牧谿《もっけい》だとか、あるいは芸阿弥《げいあみ》だとか、相阿弥《そうあみ》というような絵はいわゆる墨画でありますが、原料でいえばそんなものはいくらほどのものでもないと思うが、やはりそれが何万、何十万円今日しております。それとやはり同じ道理で、原料によるわけでないということはいうまでもないことだろうと思います。
 そうすると今日高い価をしている古陶磁というものはそんならなぜそんなに高いのかといえば、それはいうまでもなく芸術的価値があるからであります。芸術的価値というと、それならどういうことかということになりますが、近頃はこの芸術という二字が非常に濫用されまして、ちょっと女優が踊を踊っても芸術、流行歌をレコードへ入れてもそれが芸術だという、そんなことになってくると芸術は大分解し難いことになるのでありますが、芸術といっても端的に一つじゃない。それは、的《まと》だということがいい得ると思います。それでいま古陶磁の場合でいいますと、古陶磁のよいものはやはり芸術的生命がある。それと同時に美術的生命がある。もう一ついいますれば、それは美術だ。美術品として尊い価値があるから、それが故に高いのだといい得ると思うのであります。絵でありましてもやはり美術品であります。建造物でありましてもやはり美術品であります。それから能書で、弘法大師の書がよいとか、小野道風《おののとうふう》の書がよいというのも、やはりこれも美術品であります。美術以外になんにもありませぬ。そういうふうに陶磁も美術価値があるのであります。それが故に他の美術品と比較いたしまして、美術価値上比較的に考えます時に五万とか、十万とか、三十万とかいう相場がおのずからつくのだと私は考えております。同じ茶碗でありましても一円のもあります。五十銭のもあります。それから現今生まれておりますところの茶碗では十銭位からでもありましょう。それから高いのになりますと二十円とか、三十円とかいうのもあります。なぜそんなに違うのか、それは今のもので考えます時には、いろいろなやはり都合がありましたり、作者とか、販売者とかの策動がありましたり、いろいろのかけ引きがありまして一円のものが二十円になり、三十円になりしているようなこともありますが、古いものでは遠い昔のことでありますから篩《ふるい》にかかって公平な値段がつけられてお
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