画の美も彫刻、建築、庭園等美術の美に於てなんらかわるものでないということでした。ですから陶器作家は仁清のように純日本的創意のデザインが生まれ、轆轤《ろくろ》も、絵も、書も、釉薬《ゆうやく》の研究も人一倍優れた素質を持つものでなければ名を成さないということです。乾山のように光琳にも優る絵画が描け、能筆であり、仁清とは又別風の日本趣味的デザインを創作し、胸のすくような作品を種々遺しております。そしてその絵画だけを取り挙げてみても実に大した力です。
 木米は申すまでもなく、その絵画が十万金などいう相場をしております。
 以上三人が三人共、単にその人々の絵の力の一面を見ただけでも実に立派なものです。そんな立派な絵を描く人が陶器を作るのですから、その陶器も立派なものが出来るのは当然であります。それを絵も碌に描けない、字も書けない、古書画の賞翫も出来ない、これで陶器を作ってみたところが、児戯以上の何物が生まれましょう。
 現代の陶器が情けない状態の下に作られているというのはこのことです。
 私は別に陶器作家を以て世に名を成すのが目的ではありませんから、現代作家を凌駕《りょうが》し排撃して、その栄冠
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