五百年前すでに古瀬戸、古萩、古唐津、朝鮮唐津など当初から食器に出来たものが沢山あって、僅《わず》かに残されているものは今日大いに珍重され、千金万金と評価されて誇りがましき料理の着物として存在しています。なお個人作家としては仁清《にんせい》、乾山《けんざん》、木米《もくべい》等もっとも崇敬の的となり、好事家《こうずか》識者の間に重きをなしております。
しかしながら現今はと見渡しますと、実は私からは口はばったくて言いかねる所ですが、真になさけない有様です。個人作家という者には著しい天才家が生まれ出ないこと、今一つは我々が頭を下げて敬服するほどの熱誠家が皆無であること、こう申しますと、専門の陶家は固《もと》より、陶家を贔屓にしておられる方々などから憎悪の笞《むち》を以て打たれるのでありますが、私はその犠牲を払って憎悪をものともせず、その答を多年に渉って潜《くぐ》り抜けして、微力ではありますが、古陶作家の心構えを第一に窺いそれらを賞翫《しょうがん》する古人今日の動向を察し自己の信念と器学に於て相合する点を作陶の心として、十年一日の如く作陶してまいりました。そして分りましたことは、陶器の美も書
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