さとは対照的な一月寒中の頃のようである。だが、妙なもので寒中はよいうなぎ、美味いうなぎがあっても、盛夏《せいか》のころのようにうなぎを食いたいという要求が起こらない。美味いと分っていても人間の生理が要求しない。しかし、盛夏のうだるような暑さの中では、冬ほどうなぎは美味ではないけれど、食いたいとの欲求がふつふつと湧《わ》き起こって来る。これは多分、暑さに圧迫された肉体が渇したごとく要求するせいであって、夏一般にうなぎが寵愛《ちょうあい》されるゆえんも、ここにあるのであろう。もちろん、一面には土用の丑《うし》の日にうなぎと、永い間の習慣のせいもあろう。
牛肉の場合は、冬でも肉体の要求を感ずるが、うなぎ、小形のまぐろなどは夏の生理が要求を呼ぶもののようだ。皮鯨《ひげい》(鯨肉《げいにく》の皮に接した脂肪の部分)は夏季非常に美味《うま》いけれども、冬は一向に食う気がしない。要するにこれらは、人間の生理と深い関係があるといえよう。
私の体験からいえば、うなぎを食うなら、毎日食っては倦《あ》きるので、三日に一ぺんぐらい食うのがよいだろう。美味の点からいって、養殖法がもっと進歩して、よいうなぎ、
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