おい質が天然うなぎから遠ざかりすぎるのである。経済ということも一理ではあるが、かといって、いくら金をかけたところで、所詮《しょせん》、人間はうなぎの大好物がなんであるかを知ることは困難のようである。
餌のことをもっとはっきりさせるために、すっぽんを例にとろう。すっぽんの好物は、あさりやその他の小さな、やわらかな貝類である。一枚歯のすっぽんの大腸をみると分るが、彼らは貝を好んで食うために腸内部が貝類で埋っている。だが、すっぽん養殖者は、彼らにその嗜好物《しこうぶつ》を供給してやるのには費用が高くつくので、代わりににしんを食わせる頃がある。すると、いつの間にかすっぽんにもにしんの匂《にお》い、味がして、貝だけを餌《えさ》にしていた時のような美味《うま》[#ルビの「うま」は底本では「うさ」]さが失われて来る。このように餌ひとつで極端にまですっぽんの質に影響があることは見逃せない。
同じように養殖うなぎでもよい餌を食べている時は美味いし、天然のうなぎでも彼らの好む餌にありつけなかった時は、必ずしも美味くはないといえる。要は餌次第である。天然にこしたことはないが、養殖の場合でも、それに近いものが望まれる。
ところで、現在市販のものでは、天然うなぎはごくわずかしか使用されておらず、ほとんど養殖うなぎばかりといってよい。天然うなぎがいないからではなく、それを獲《と》るのに人件費がかかるからで、問題は商魂《しょうこん》にある。養殖うなぎの値が天然のそれに比して高ければ、一般の人々は手を出さないであろうし、従って、おのずと天然うなぎが繁昌《はんじょう》する結果となる。養殖の場合は先述したように、うなぎが太っていればよいのであるし、形ができていれば商売になる。味覚をなおざりにしているわけではなかろうが、どうしても二義的に考えられがちだ。現今《げんこん》では、うなぎといえば養殖うなぎが通り相場になっているほどである。東京では五、六軒だけ天然うなぎを使用しているが、京、大阪は皆無《かいむ》。中には両方を混ぜて食わせる店もある。
一方、天然うなぎは餌が天然という特質があるために、概《がい》して美味いと考えてよい。もちろん良否はあるが。養殖うなぎにもとりわけ美味いものがあるが、よほどよいうなぎ屋に行かなければぶつからない。
最後に、うなぎはいつ頃がほんとうに美味いかというと、およそ暑
前へ
次へ
全5ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北大路 魯山人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング