さとは対照的な一月寒中の頃のようである。だが、妙なもので寒中はよいうなぎ、美味いうなぎがあっても、盛夏《せいか》のころのようにうなぎを食いたいという要求が起こらない。美味いと分っていても人間の生理が要求しない。しかし、盛夏のうだるような暑さの中では、冬ほどうなぎは美味ではないけれど、食いたいとの欲求がふつふつと湧《わ》き起こって来る。これは多分、暑さに圧迫された肉体が渇したごとく要求するせいであって、夏一般にうなぎが寵愛《ちょうあい》されるゆえんも、ここにあるのであろう。もちろん、一面には土用の丑《うし》の日にうなぎと、永い間の習慣のせいもあろう。
牛肉の場合は、冬でも肉体の要求を感ずるが、うなぎ、小形のまぐろなどは夏の生理が要求を呼ぶもののようだ。皮鯨《ひげい》(鯨肉《げいにく》の皮に接した脂肪の部分)は夏季非常に美味《うま》いけれども、冬は一向に食う気がしない。要するにこれらは、人間の生理と深い関係があるといえよう。
私の体験からいえば、うなぎを食うなら、毎日食っては倦《あ》きるので、三日に一ぺんぐらい食うのがよいだろう。美味の点からいって、養殖法がもっと進歩して、よいうなぎ、美味いうなぎで心楽しませて欲しいものである。
参考までに、うなぎ屋としての一流の店を挙げると、小満津《こまつ》や竹葉亭《ちくようてい》、大黒屋《だいこくや》などがある。現代的なものに風流風雅を取り入れた、感じのよい店といえよう。中でも先代竹葉の主人は名画が非常に好きで、とりわけ琳《りん》派の蒐集《しゅうしゅう》があって、今日特にやかましくいわれている宗達《そうたつ》、光琳《こうりん》のものなど数十点集めておったほどの趣味家で、この点だけでも大したものであった。今なお竹葉の店に風格があるのは、そのためである。
美を知るものは、たとえ商売が何屋であっても、どこかそれだけちがうものがある。
次にうなぎの焼き方であるが、地方の直焼《じかや》き、東京の蒸し焼き、これは一も二もなく東京の蒸し焼きがよい。
底本:「魯山人の食卓」グルメ文庫、角川春樹事務所
2004(平成16)年10月18日第1刷発行
2008(平成20)年4月18日第5刷発行
底本の親本:「魯山人著作集」五月書房
1993(平成5)年発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年12月4日作成
青空
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北大路 魯山人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング