も、むしろ事業的に成功した寿司屋であったように思われる。そこで育ったのが久兵衛で、彼に名人芸があるとすれば、これは生得《しょうとく》で主人から教えてもらったものではあるまい。それで魚肉を薄く切る陋習《ろうしゅう》が今に残っているものと思う。
およそ先入観とは恐ろしいもので、誰であっても、一度身についた先入観は容易に改められないものである。ある時寿司台の前に座す客が、彼に「もう少し厚く切ってくれ」と希望をいった。彼は「寿司ですからね」といい切った光景を私は隣席で見たが、遂に彼は改めなかった。まぐろというものはむやみに厚切りするものではないという彼の信念が表われていておもしろい。
そこへゆくと新富支店は、本店の主人に従っていたためかいささか、この方にイナセな名人|肌《はだ》というものを受け継いでいる。まぐろの切り方が第一それである。
戦後のこと、魚河岸《うおがし》にまぐろが二本か三本しか来なかったといって、普通の店舗に入らなかった場合にも、この店には堂々たるまぐろが備えてあった。他の寿司屋《すしや》ではそうはいかない。久兵衛《きゅうべえ》もまぐろとなると平均してみっちゃんには及ばない。この一心太助《いっしんたすけ》にして、これはいかなるわけかといささか懐疑の念を抱かざるを得ない。
しかし、寿司はよき飯《めし》あっての寿司だといえる。飯の水加減が悪かったりすれば、結果は寿司になるべき第一義が失われる。うなぎ屋の飯、寿司屋の飯は生命である。この飯をおろそかにしたのでは寿司にはならない。よき飯を炊《た》き、よき寿司を作らんとすれば、一人仕事ではだめである。毎朝魚河岸からもってくる魚、あなご、貝等にはいろいろ手のかかる仕事が多い。こはだのごとき、いずれも寿司のたねになるには、小さな魚に大そうな手数《てかず》がかかる。これを一人で処理するのは所詮《しょせん》無理である。このように寿司屋の下仕事は沢山ある。支店みっちゃんのように下仕事する者|皆無《かいむ》で、それを処理せねばならぬところに無理がある。そのために、飯がうまく炊けないという結果が生じてくるのだ。誠に歯がゆいような話である。
助手一人使わない。小女《こおんな》一人使わない。女房の手伝いすら大して受けない。これでは仕事の伸びようはずがない。これだけの技倆《ぎりょう》を持ちながら、このままで小さく終わってしまうのは
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