殺人行者
村山槐多

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【テキスト中に現れる記号について】

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(例)『夜の散歩である』[#原文のまま。おそらく括弧は夜の散歩だけにかかると思われる]。

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)むら/\と頭に上つて来た
#濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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(一) 闇の収獲

 自分は画家であるが自分の最も好む事は絵を描く事でなくて『夜の散歩である』[#原文のまま。おそらく括弧は夜の散歩だけにかかると思われる]。彼の都を当てどもなくあちこちとうろつき廻る事である。殊に自分は燈火すくなき場末の小路の探偵小説を連想せしめる様な怪しき暗を潜る事が無上に好きである。或冬の夜であつた。九時の時計の打つのを聞くとまた例の病がむら/\と頭に上つて来た。『さうだ。また今夜も「闇の収獲」に出掛けよう。』と外套をかぶつて画室の扉を出た我が足は、それから三十分の後には都の東北なる千住の汚き露地の暗中を歩いて居た。すると自分の前を一人の矢張り黒外套を被つた黒帽の男が行く。自分はその男が痛く酔つて居るのを見た。そして追ひ付いて抜け過ぎる瞬間、その男の横顔を覗き見た自分は思はず一条の水の奔ばしる様な戦慄を禁じ得なかつた。この世の物とも見えないばかりに青いその顔は、酒の為か不思議な金属的光沢を帯びて居る。暗中でよくはわからないが、真珠の如く輝くおぼろなる其眼の恐ろしさは、一秒も見続ける事が出来ない程だ。背高く年三十代の全体に何となく気品ある様子が自分の好奇心をひいた。自分はそこまでわざと男の後になつてそれとなく尾行して行くと男はあつちへよろめきこつちへよろけつゝ約一丁ばかり歩いたが、そこの見すぼらしい居酒屋の障子を見ると立止まつた。そして顫ふ手で障子を開けて中へ入らうとする途端『あゝまたいつかの狂人が来たよ。』といふ声が聞えて、男は力一杯外へ突き出された。そしてどすんと自分の胸に撞き当つた。自分は『どうしたのだ。』と酒屋へ這入つて問うた。『何あに、是は正真の狂人なので乱暴して困る物ですから。』とお神さんが弁じるのをなだめて、自分はこの男を酒屋へ連れ込んだ。ランプの光はこの男の全体を明かにした。自分は更に驚いた。狂人と呼ばるゝこの男の外貌に、如何にも品よき影の見える事である。自分は直覚的にこの男が或容易ならぬ悪運命の底を経て来た人間である事を見てとつた。そして非常に興味を持つて来た。『まあ君飲み給へ。』と杯を差せば男の恐ろしい容貌には或優し味が浮び、たゞ一息に呑み乾した。そしてじつと自分を見守つたが『ね君。俺は狂人ぢやあ無いんだ。決して決してさうではないんだ。』と言つたその眼には涙がにじんだ。その刹那自分はこの酔漢が溜らなく哀れになつて来た。抱きしめてつく/″\泣きたい様な気持になつて来て『さうとも、君が狂人な物かB』と叫んだ。徳利を更へる時分には自分はこの男を今夜わが家に連れ帰る事に決心してしまつた。『ねえ君。僕のうちへ行つてまた飲まうぢやないか、え、僕は独りぽつちなんだ。淋しくて溜らないんだ。君来て呉れるね。君。』すると此男はしばらくぼんやりした大きな眼で自分を見たが強くうなづいた。自分はすぐ二人で此居酒屋を出た。この男を扶けながら電車通りまで出ると、もう十一時であつた。リキユールを一本買ひ電車に乗りやがて自分の画室に帰り着いた。這入るなり彼は『お前は好い絵描だねえ。』と叫んで自分の首を抱いて頬を吸つた。ストーブを燃やしリキユールの杯を前にした時、彼は如何にも酔ひ果てて居た。その眼は何処か物哀しく何処か優しく何処か恐ろしく輝いた。そして自分に杯を差しながら『君はきつと聞いて呉れる、わかつて呉れる。お前にだけ話すのだからきいて呉れ。俺の愚痴を聞いて遣つて呉れ。』と言ひながら長々しいその経歴を物語つた時自分はこの男の正体の余りにも奇怪なのに戦慄した。以下はその物語であり文中『僕』としたのは彼自身の事である。

(二) 考古学者と伯爵令嬢

 僕は名を戸田元吉と云ふ一考古学者である、と云へば却々偉さうに聞こえるが実はほんの道楽者である。と云ふのが僕の家は可成りの資産家で次男に生れた僕にも一生の生活には決して困らない丈けの分前がある所から大学を出は出たが、何一つ学んだ所なく出てからも何一つ是と云ふ仕事もしないで遊んで居るのである。しかしとに角職業に選んだ丈けに考古学や歴史には随分熱心であり小さな研究は絶えず遣りそれが為一年の三分の二は旅行に費やした。大学を出て二年目に僕は或伯爵の娘を妻に貰つた。この妻の豊子は少年時代からの知合で僕の世界中で最も好きな女であつた。僕は豊子の事を語り出づる時激しい苦痛なしでは居られない。此最愛の女を僕の此手が殺してしまつたのではないか、其薔薇色なりし頬、ルビー色なりし唇や、またそのあでやかに肥りたる肉体にめぐつた血液が、僕のこの手に惜し気もなく滴り落ちたのではないか。しかし僕はまた豊子の事を思はずには生きて居られない。たとひ自分の悪業の回想の苦痛に全生活の幸福を犠性にするとも、決して決して自分は豊子の事が忘れられない。彼女は実に立派な女であつた。そして活溌で男性的で大胆であつた。僕の生涯は彼女と一所になるに及んで忽ち燦爛と輝き始めた。かくて楽しき新婚生活の一年後の夏となつた。未だ子なき気楽なる二人は今年の避暑地の相談をした。『山と海とどつちが善いだらうな。』と言つた時彼女は『山。』と即座に答へたのである。そして彼女が行つて見たいと云ふ一地名を挙げた。それは信濃の山中にある。其処に豊子の友人の貴族の別荘がある。其れを借りようと云ふのである。僕も賛成しその貴族を訪ねて聞いて見た時一寸不安な気持がした、その人の話に依ると斯うである。その山荘は一族中の大層物好きな人の建てた物で大変な山の中にある。そして近来五六年はその周囲の山々に一大賊が手下を連れて出没し、方々の町村へ下りては殺人強奪を行ひ警察も手の付け様の無い有様。現在は別荘番夫婦を置いたのみで打棄てゝあると云ふのである。そして言を極めて行つてはならぬと忠告した。僕もそれで思ひ切る事にし、帰つて話すと豊子はきかない。何でもその山へ行かうと云ふ。そこで僕も強てその山荘を借り受ける事にし、いよ/\二人で出掛けた。
 同行は女中一人。今から思へば実に悪運命の始まりであつた。麓の村へ着いて頼んだ案内者は僕等がその山荘に一夏を過ごすと聞いて非常に恐怖の表情をした。そしてよした方が好いとすゝめた。何でもその賊は一種異つた人間で強奪を行ふ時必ず人を殺す、その方法は常に同一で鋭利な短刀で心臓を見事に刺してある、だから未だ曽て一人でも実際に賊を見たと云ふ者がない。見た者は必ず殺されるからである。故にその頭領は『人殺しの行者』と呼ばれて居る……。
 かゝる話を聞いて僕の不安は更に募つた。しかしさて別荘に着いて見ると僕等はそんな不安をすつかり忘れ果てた程満足に感じた。

(三) 不可思議極まる石崖

 別荘は麓村から二里ばかり上つた所にある。深い谷に臨んだ崖の上に立つて居る、西洋建築で青く塗られた頑丈な家である。その二階から谷と共に向ひの山が真正面に見渡され実に絶景である。豊子は子供の様に悦んで自分の眼利きを誇つた。
 或時僕はこの辺り一体の山々の脈状を見て来ようと思ひ立つた。そして早く別荘を出た。『呉々もあつちの山へお這り[#原文のまま。「お這入り」と思われる]なさいますな。』と云ふ老人の声が何となく神秘的に聞こえるのをあとに残して別荘の上の山へと上つて行つた。この辺の山々は人が多く這入らぬので道は殆んど足あとの続きに過ぎぬ。僕は唯一人道を求め求め上つた。夏の晴れた日だから、随分上るのに息が切れて、丁度その山の頂上と思はれる地点に来た時は午後一時時分であつた。しばらく休んでからまた下り始めた。すると、僕は知らぬ間に道を見失つてしまつた。そして非常にわづらはしい雑木林の中へ落つこちてしまつた。仕方なく磁石を頼りにずん/\其中を伝ひ下つた。するとやがて一つの傾斜した谷へ出た。其処で憩つて居る時僕は興味ある事を発見した。それはその渓谷に沿うて一列の石が走つて居る事である。それは決して自然に出来た物ではない。人工で立体に切つた石の列である。そして非常に年代を経た物である、自分は興味に乗り出した。この列石はよく考古学者の問題となる称類に属する物であるからだ。そこでその列石を尾けてこの谷を下り始めた。石は或は地に埋没し或は木にかくれつゝ、谷に沿うていくらでも続いて行く。およそ一里許りも行つたかと思ふ中にいつしか見失つてしまつた。そしてぼんやりして向ふを見るとすこし上つた所に変な石崖が見える。確に人工の物である。僕はすぐそこまで上つて見た。そしてよく調べると、その石崖の一寸一目で分明らない部分に一つの小さな入口がある。そして扉が開いて居る。それは諸国にある穴居の遺蹟によく似通つた物である。僕の好奇心は湧いて来た。すぐその小門から中へと這入つて行つた。這入つて暫らくは、道は水平で這はなければならぬ程狭い所もあり、中途でずつと広くなつて、中腰で立つて歩ける様になると共に傾斜し始めた。そして所々で角になつて居る。よく考へると道は螺線状に這入つて行くらしいのだ。懐中電燈の光でずん/\と伝つて行く。

(四) 物をも言はず捕縛

 やがて余程這入つたかと思ふと道が尽きて大きな石室へ出た。懐中電燈の光で照して見ると、此処はすつかり石で張つた高さ一間半四方位の室で、内部は空虚であり右手に次の室に通ずる口がある。一体何の為に地下にかゝる室があるのだらう。古代の墓かそれとも住居か。地上を探して見るが何の紋様もない、土器の破片の外何も落ちて居ない。そこで右の入口から次の室へ這入つた。次の室もほゞ同形である。懐中電燈の光を中央部に向けた時僕は昂奮した。そこには長方形の石棺が置かれてある。して見ると此は古代の墓所であつたのだ。それに近づいてよく検査した時『是は意外な発見だ』と思つた。それには推古時代の物と推定し得る紋様がある。そして奇妙な唐草が棺の蓋に着いて居る。『どうしてこんな山中にこんな貴族的な棺があるのだらう』と思ひつゝその唐草を精密に見て居ると僕はふと奇妙な事を発見した。それはその石蓋の横面に当つて一つの石の割目が着いて居てそれから垂直に棺に線が這入つて居る。驚いた事には棺の横面は一枚の戸になつて居るのだ。変だなと思つてその戸をいぢつて見るが開かない。ふと偶然に手が蓋の隅にある一つの花の彫物にさはつた。するとその花ががた/\動くのである。僕が指でそれをぐつと推した時不思議や棺の横はがたんと下へ下りた。そして覗き込むと棺の下は縦坑になつて居るのであつた。その中から微かに灯の光が反射する。僕はぎよつとした。『この中に人間が居る。』と思ふと同時に忽ちあの賊の噂を思ひ出した。さては俺は別荘番の言つた向ひの山へ這入つたのだなと思つてよく考へると確かにさうである。山はU字形になつて居る物だから、あの谷を伝ふ内にこつちへ這入つてしまつたのであつた。して見るとこの中には賊共が居るのだ。さう考へると一条の戦慄が全身を襲つたが、しかし僕は随分胆は太い方であり旦その場合非常に落着いて来た。一つそつと中の様子を見てやらうと思ひ立つた。この縦坑は四五尺で横坑になつて居る。灯はその先からもれるのである。僕はそつと身をしのび入れた。そして横坑へ下りた。身を屈めて灯の方へ這つて行くとこの横坑の先は或大きな室の壁と天井との境に開いて居るのを悟つた。そつと首を出して室内を見下ろさうとした刹那、何者かの太い手が僕にとびついたかと思ふと僕はずる/\と室内へひきずり落された。有無を言はせず僕の身体は二人の恐ろしい相貌の男に縛られてしまつた。そしてその室の左手の戸を開いて次の室へと突きoされた。僕はびつくりした。この室は実に華麗な室で壁は真紅の織物に張られ瓦斯の光晃々として画の様である。中央の椅子に一人の立派な男が坐して居る。男達は僕をその前に引据ゑた。その時僕は顔
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