右に動き左に動く。こゝから山までの距離に依つて考へて見るとそれは確に大きな提灯を人が振るのである。眺めて居る内に僕の連想はいつしかかの怪しき星の夢に来た。あの星だ。さうだ。あの赤い星にそつくりだ。尚じつと見て居るとその燈は輪状に或は上下に打振られる。その燈は何かの信号を伝へて居るのだ。僕の心は怪しくも打慄へた。段々見て居る内に僕は妙な気持になつて来た。忽ちはつとなつた。見よあの燈は明かに豊子を殺せと叫んで居る。『豊子。豊子。お前にはあの燈が見えるか。』と豊子に言ふと豊子は僕によりそつて暗をすかし見た。その刹那僕の懐中した手がさつと空を指したと思ふや否や水の様な悲鳴が僕の喉の下で起つた。
 吾に帰れば驚ろくべきかな僕は最愛の妻豊子をかの青鞘の短刀で一撃の下に殺害した後であつた。短刀は見事に豊子の心臓を刺し貫いたので、僕の手は真赤な熱い血に濡れた。夜目にも白いその顔を上に向けてがつくりと地に横たはつて居る。僕は茫然としてしまつた。懐中電燈を拾ひ上げてつく/″\と豊子の顔を照らし見た時涙は眼中に満ちて来た。何故俺は豊子を殺したのであらう。遂に殺人者になつてしまつたかと云ふ事の外何を考へる余地
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