て人肉は食はぬ。俺はコンゴーの土人ではない。善き日本人の一人だ。』が口中にはかの悪魔が冷笑して居るのだ。かゝる耐へ難い恐怖を消す為には始終酔はなければならなかつた。俺は常に酒場《バー》に入浸つてどうかして一刻でも此慾望から身を脱れようとした。が運命は決して此哀れむべき俺を哀れんで呉れなんだ。
 忘れもしない去年の二月五日の夜であつた。酔つて酔つぱらつて浅草から帰りかけた。その夜は曇天で一寸先も見えぬ闇黒は全部を蔽うて居た。この闇黒を燈火の影をたよりに伝ふ内、いつの間にやら道を間違へてしまつた。轟々たる汽車の響にふと気づくと、いつの間にか日暮里ステーシヨン横の線路に俺は立つて居る。俺は踏切を渡つた。坂を上つた。そして日暮里墓地の中へ這入り込むとそのまゝ其処に倒れてしまつた。ふと眼を開けると未だ深々たる夜半である。マツチをすつて時計を見ると午前一時だ。俺は大分醒めた酔心地にぶらぶらと墓地をたどつた。突然片足がどすんと地へ落ち込んだ。驚いてマツチをすつて見ると此処は共同墓地で未だ新らしい土まんぢゆうに足を突つ込んだのであつた。その時一条の恐ろしい考へがさつと俺の意識を確にした。俺は無意識にすぐ棒切を以つて其土まんぢゆうを掘り出した。無暗に掘つた。狂人の様に掘つた。遂には爪で掘つた。小一時間ばかりで吾手は木の様な物に触つた。『棺だ。』土を跳ね除けて棺の蓋を叩き壊はした。そしてマツチをすつて棺中を覗き込んだ。
 その時その刹那ばかり恐ろしい気持のしたことは後にも前にも無かつた。マツチの微光には真青な女の死顔が照らし出された。眼を閉ぢて歯を喰ひ縛つて居る。年は十九許りの若い美しい女だ。髪の毛は黒くて光がある。見ると黒血が首にだく/\と塊まり着いて居る。首は胴からちぎれて居るのだ。手も足もちぎれたまゝで押し込んである。戦慄は総身に伝つた。が此はきつと鉄道自殺をした女を仮埋葬にしたのだらうと解るとすこし戦慄が身を引いた。俺はポケツトからジヤツクナイフを出した。そして女の懐へ手を突つ込んだ。好きな腐敗の悪臭が鼻を撲つ。先づ苦心して乳房を切り取つた。だらだらと濁つた液体が手を滴たり伝つた。それから頬ぺたを少し切り取つた。この行為を終へると俄かに恐ろしくなつて来た。『どうする積りだ、お前は。』と良心の叫ぶのが聞えた。しかし俺はしつかり切り取つた肉片を、ハンカチーフに包んだ。そして棺の蓋を
前へ 次へ
全10ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
村山 槐多 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング