した。土を元通りかぶせると急いで墓地を出た。俥をやとつて富坂の家へ帰りついた。
 家へ這入るとすつかり戸締りをしてさてハンカチーフから肉を取り出した。先づ頬ぺたの肉を火に焼いた。一種の実にいゝ香が放散し始めた。俺は狂喜した。肉はじり/\と焼けて行く。悪魔の舌は躍り跳ねた。唾液がだく/\と口中に溢れて来た、耐らなくなつて半焼けの肉片を一口にほほばつた。此刹那俺はまるで阿片にでも酔つた様な恍惚に沈んだ。こんな美味なる物がこの現実世界に存在して居たと云ふことは実に奇蹟だ。是を食はないでまたと居られようか。『悪魔の食物』が遂に見つかつた。俺の舌は久しくも実に是を要求して居たのだ。人肉を要求して居たのだ。あゝ遂に発見した。次に乳房を噛んだ。まるで電気に打たれたやうに室中を躍り廻つた。すつかり食ひ尽すと胃袋は一杯になつた。生れて始めて俺は食事によつて満足したのであつた。

 (六)

 次の日俺は終日掛かつて俺の室の床下に大きな穴を掘つた。そして板で囲つた。人間の貯蔵室を作つたのである。ああ此処へ俺の貴い食物を連れて来るのだ。それがら吾眼は光つて来た。町を歩いてもよだればかり流れた。会ふ人間会ふ人間は皆俺の食慾をそゝる。殊に十四五の少年少女が最も旨さうに見えた。何だがさう云ふ子に会ふとすぐ食ひ付いてしまひさうで仕様がなかつた。がどんな方法で食物を引つ張つて来ようか、まづ麻酔薬とハンカチーフをポケツトに用意した。これで睡らしてすぐ引つ張つて来る事にした。
 四月二十五日、今から十日ばかり前の事である。俺は田端から上野まで汽車に乗つた。ふと見ると吾膝と突き合はして一人の少年が坐して居る。見ると田舎臭くはあるが、実に美麗な少年である。吾口中は湿つて来た。唾液が溢れて来た。見れば一人旅らしい。やがて汽車は上野に着いた。ステーシヨンを出ると少年は暫らくぼんやりと佇立して居たがやがて上野公園の方へ歩いて行く。そして一つのベンチに腰を掛けるとじつと淋しさうに池の端の灯に映る不忍池の面を見つめた。
 見廻はすと辺りには一人の人も居ない。己れはそつとポケツトから麻酔薬の瓶を出してハンカチーフに当てた。ハンカチーフは浸された。少年はぼんやりと池の方を見て居る。いきなり抱き付いてその鼻にハンカチーフを押し当てた。二三度足をばた/\させたが麻薬が利いてわが腕にどたり倒れてしまつた。すぐ石段下まで少年を
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