《すくな》いわけですね。絶対鳴らないところ? そんなところは、日本中探したって、ありゃしませんよ。樺太《からふと》には、一カ所そういうところもありますが、その代りそこは、冬雪の降ってる最中に、鳴りますよ。まさか樺太から、東京へ通勤もできんでしょう?」
と、その若い技官は件《くだん》の図表を調べてくれながら、私を冷やかした。
房州よりは、湘南《しょうなん》という方が、何か聞こえが明るいから両方同じくらいの程度に雷の尠いところなら、ようし逗子へ家を建てようと、私は考えた。そして家を建てるなら、まずその土地になじんでおかぬといけんから、今年の夏は家中で逗子へ避暑だと私は、勇み立った。妻と女中に二人の子供、私を入れて総勢五人、桜山の葉山へ抜けるトンネル入り口近くの農家の二階|二間《ふたま》を、一夏借りたのであったが、何が月に五回のところも、海岸地方もクソもあるものか!
鳴ったにも、鳴ったにも! 行った晩から東京と変りなく、鳴り轟《とどろ》いた。中央気象台のクソ野郎! 人にウソを吐《つ》きやがって! と私は、頭から湯煙りを立てた。
そして挙句の果てに、気絶せんばかりに、大鳴りに鳴り轟《とどろ》いたのは、昭和何年だったか、もう今では年も忘れてしまったが、あんまり恐ろしかったから、月と日だけは今でも忘れることができぬ。七月三十一日の、晩であった。ガラガラバリバリゴロゴロズシンとのべつ幕なしに地鳴り震動して、私はもう、死んだ方がいいと、往生観念したくらいであった。
妻も女中も、雷なんぞ、鵜《う》の毛で突いたほども、感じてはおらぬ。子供二人はグウグウと、高鼾《たかいびき》で眠っている。私一人が、パッパッと往来が真昼のごとくに明るくなるたんびに、眼を閉じ耳を塞《ふさ》ぎ心臓を破れんばかりに、ドキつかせた。到頭|堪《たま》らなくなって、妻と女中に笑われ笑われ、階下へ逃げ込んだ。入れて下さい! とばかりに、お百姓夫婦の眠っている、破れ蚊帳《がや》の中へ、飛び込んだ。お百姓は素《す》っ裸体《ぱだか》で、フンドシ一つで眠っている。その廻りに、黒ん坊みたいな子供が四人、ウジャウジャと寝て、その向うに腰巻一つの内儀《おかみ》さんが、肥《ふと》った尻《しり》をこっちへ向けている。
寝るところも、横になるところも、ありはせん。そのないところを私は、無理に亭主の尻っぺたのあたりに割り込んで、湿っぽくて日向《ひなた》臭くて、汗臭くてムンムンするような蒲団《ふとん》を、亭主から剥《は》ぎ取って頭からひっかぶって、震えていた。酔狂な! と、後で散々私は妻から笑われたが、酔狂にそんな真似《まね》ができますか!
半分死んだ気で頭を抱えてたのを、未だに忘れることができぬ。
何でも、この時の大雷雨は、逗子鎌倉地方では、八十年ぶりとかいうことであった。鎌倉の八幡宮《はちまんぐう》の、杉の老木が二本も落雷で裂け、おまけに東京では八十カ所も落雷したと後で新聞に出ていたから、東京にいてももちろん私は、右往左往して仰天したに違いなかったであろう。しかし、東京で雷に遭うのと、逗子で遭うのとでは、私の気持の持ち方が違う。中央気象台で、なまじ有難そうな図表なぞを見せられて、安心して出かけて行ったばかりに、もう腹が立って腹が立って、……今でもその時のことを考えると中央気象台へ押しかけて行って、愚痴のひとつも並べたくなってくる。
が、もう、十何年も昔のことだ。あの時の若い技官二人は今頃は出世して、どこかの測候所長にでもなっているに違いない。
雷さんはイキなもの
昔の物語を読むと、バカげたことが書いてある。若い女房が、たった一人で留守番をしてるところへ、ピカリゴロゴロ……ちょっくら、雨宿りを、さしておくんなさい! とはいって来た途端に、ピカッときて若い男に、アレエとばかり女房は縋《すが》りつく。しっぽり濡れて、二人は割なき仲となりにけりというのであるが、そんなバカげた話があって堪《たま》るものか! と私は考えていた。
私のような雷嫌いには、およそこれは、想像もつかぬ光景である。アレエ! と縋りつく方は、よろしい。これは、あり得ることである。私だって、縋りつくであろう。問題は、縋りつかれた男の方の、出方であった。ゴロゴロピカピカの真っ最中に、いくら艶《なまめ》かしく縋りつかれたからとてそんな恐怖のタダ中で、味な気なぞが起るものか! そんなバカをしたら、恐怖とアレが入り交じって、心臓が麻痺《まひ》してしまうであろう。ゴロピカの最中は、二人でただ抱き合っていて、やがて、西の空が明るくなって、ゴロゴロが遠のいて、初めて人心地がついてから、抱き合ったが百年目とばかりに、そろそろ心臓がアレの方に向うのが、本当であろうというのが、私の意見であった。難しくいうと「古物語《こものがたり》に現れたる、私の雷観」というところであろうか。しかし私の考えは、間違っていたことに、気がついた。
全世界の雷研究に及ぶ
抱きつかれた瞬間、心臓は恐怖とアレの二重働きをせず、恐怖はどこかへ行って、もっぱらアレに一重働きをするから、決して、心臓麻痺の心配は要《い》らねえということに、気がついたからであった。そこで、私自身の体験へ、移ろう……。と、言ったところで、誰も私なんぞに、抱きついた女があったわけではない。
選《よ》りに選って私ごときクマソタケル然とした男に抱きつく女なぞのあろうはずもないことであるが、今から一昔の前、西班牙《エスパニア》の公使が、フランコ政権を代表して、日本に駐※[#「答+りっとう」、第4水準2−3−29]《ちゅうさつ》していた時分であった。この公使館に、頗《すこぶ》る優美な女がいた。明眸皓歯《めいぼうこうし》、風姿|楚々《そそ》たる、二十三、四の独身の秘書《ステノ》であったが、私は、この|お嬢さん《セニョリータ》に、ゾッコン上せあがってしまった。
瞳の黒い、笑うと可愛《かわい》い靨《えくぼ》を、にいっと刻むなんてなことになってくると、雷の話をしているのか、|お嬢さん《セニョリータ》の惚《ほ》れ気を語っているのか、わけがわからなくなってしまうが、わたしこの夏は二十日間ばかり、休暇が貰《もら》えますのよ。どこか日本の景色のいいところ、案内して下さらない? なんてなことになったから、バカな私は有頂天になって、オウ、イエス、シュア、シュア! とばかり、身銭を切って恐ろしく方々へ、この秘書を引っ張り廻してくれた。
大島へ行って、三原山の噴火口を覗《のぞ》かせて、富士山麓の河口湖《かわぐちこ》へ行って、野尻湖《のじりこ》へ連れて行って、最後に、松島へすっ飛んだ。夏だから、大島の元村で、ゴロゴロピカッ! 河口湖で、もっと酷《ひど》いやつをピシャンバリバリ! 野尻湖ときたら、天地も砕けんばかりのやつを、ゴロピシャッ!、しかし割合、平気でしたね。あの恐ろしい雷が、この夏だけは!
何ともないデス。なるほど、上せあがった時は、心臓は恐怖を忘れて、アレの方へばかりドキツクということを、私は身をもって体験したわけであったが、このお嬢さんが亜米利加《アメリカ》へ行っちまったら、また駄目だ! たちまち私の心臓はまた、恐怖専門へ逆戻りした。物心ついてこの方、たった一夏でも、雷から解放された夏なぞというものは、私にはかつて覚えなかったが、この夏だけは私にとっては、まったく、雷を意識の外に逐《お》いやった、極楽のごとき夏だった。その代り、恐ろしく暑っ苦しいこと夥《おびただ》しい夏でもあった。
このステノグラファーは、西班牙人だと思ってたら、なんと、智利《チリー》生まれだということが、後でわかったが、なあに智利だって西班牙だって、人種に代りはない。同じラテンだから、私にとっては、カルメンさんの情熱だったということになるのであるが、私は誰にでも、逢う人もって、雷のことを聞くのが痼疾《こしつ》だから、もちろんこの女を掴《つか》まえても、忘れずに雷のことだけは、根掘り葉掘り聞いた。
「夏のマドリードの雷は、酷《ひど》きや?」
「オウ! ……時々《サムタイムズ》……」
なんて具合にネ。
「バルセローナは?」
「ヤッパリ、時々……」
「どのくらい酷きや? 卒倒するくらいか?」
「ワタシ雷《サンダー》デ引ッ繰リ返ッタコト、ナイカラ、ワカラナイ。チョウドココグライ……モット酷イコトモアル」
野尻湖の雷と、女は比較しているのであった。
「リスボンは?」
「葡萄牙《ポルツガル》ハ、ワタシ行ッタコトナイカラ、少シモ知ラナイ。西班牙デ、一番酷カッタノハ、カステイルノ高原……」
「智利のサンティアゴは?」
「娘ダッタカラ、ワカラナイ!」
「ヴァルパライソは?」
「オウ、テリブル!」
と女は笑ったが、ヴァルパライソの雷がテリブルなのか、その時バリバリと、頭上で炸裂《さくれつ》した野尻湖の雷に、テリブルと顔をしかめたのか、そこのところは定かでない。
これもちょうど、その頃であった。なぜ、そんなことをしてみたのか? 自分でもその気持がサッパリわからないが、御苦労千万にも私は、私のところへ|引合い《インクワイリ》をよこした海外の商館や、取引先へ宛てて、雷のことを問い合わせてやったことがある。甚だ恐れ入り候えども、当商会は雷のことについて非常なる興味を有し居《お》り候間、左記御返事下され候はば、有難き仕合せに御座候、とか何とか書いて、無暗《むやみ》やたらに出した覚えがある。
一つ、御地では夏、雷が大変屡々《ベリーオッフン》に鳴るや?
二つ、かなり烈《はげ》しく鳴るや?
[#地から5字上げ]|貴下に忠信なる《フェイスフリーユアズ》
[#地から2字上げ]橘商会拝
てなわけなのであるが、十銭切手を貼《は》ると、世界中どこでも、郵便の行く時代であったから、私はこれを至るところへ飛ばせてくれた。印度《インド》から注文《オーダー》が来ても、タイから引合いが来ても、平気の平左で「雷の話」という本を、一心に読み耽《ふけ》っている社長が、気が狂ったように雷の問合せばかり全世界に発送しているのであったから、タイピストはクスクス笑いを怺《こら》えているし、こういう問合せを貰《もら》った外国の商館でも、さぞかし面食らったことであろう。
なんだ俺の取引相手は、日本の貿易屋じゃなくて、気象台だったのか? と、眼を廻したかも知れぬ。が、外国人のことだから百本くらい出したのに、十五、六本ぐらいは、律義に返事をよこしたように、覚えている。前にも言ったように、何のためにそんな問合せを出したのやら、雷が鳴らないところがあったら、そこへ移住しようという肚《はら》があったわけでもないし、手紙を出した当の本人に、出したわけがわからんのだから返事などももちろんもう忘れてしまったが、今でも覚えてるやつだけを二つ三つ並べてみようか。
ヴェネズエラ、カラカスの商人 鳴る、鳴る、盛んに鳴るヨ。
和蘭《オランダ》、アムステルダムの商人 鳴ります。
瑞西《スイス》、ベルンの商人 鳴る、ビュッヒュウと鳴る。
笑わせちゃいけない、瑞西の雷は、ビュッヒュウと鳴るんだそうな。
印度、ボムベイの商人 強大に鳴る。天地も破れんばかりに鳴る。
この返事を読んだ途端、将来洋行しても、ボムベイだけは絶対行かぬと私は決心した。
タイのバンコックの海軍の軍医少将で、シュミトラさんというオッサンは、何か私が日本の間諜《スパイ》で、タイの気象状況でも知りたがっていると勘違いしたのであろう。遺憾《ベリイソーリイ》ながら、余は気象上の通報を認《したた》むるの自由を有せずと、恐ろしく堅っ苦しい返事をくれた。
弊商会は雷に興味を有せずなんて、怒ってきたのもある。亜米利加《アメリカ》のオレゴン州ポートランドのオッサンは、いかにもヤンキーらしく、まず貴下の学界における地位を明示せよ。余は、恐るべき著述を贈呈せんと言って来たが、私には学界に地位がねえから、今もって恐るべき著述を送って来ん。ウルグアイ、モンテヴィデオの、ドン・ペドロ何とかいうオッサンは、なんとハヤ、書簡
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