箋《しょかんせん》三枚に亘《わた》ってビッシリ一杯と、当地ではいつ雷が鳴って、どんな具合に自分がビックリ仰天して、どんな具合に平気であったかということを仔細に書いてよこしたが、困ったことに全文|西班牙《エスパニア》語であったから、私にはちんぷんかんぷん読めん。
ラッソーさんという、西班牙語のわかる、商大の先生が遊びに来たから珈琲《コーヒー》をふるまって読んでもらったが、読めども読めども尽くるところなき雷の日記には、ラッソーさんは呆《あき》れ返ってしまって、このモンテヴィデオの手紙の主は、何だ? と聞くから日本の医療器械《サージカルイクイプメント》の輸入商人だと答えたら、
「|なんて狂人《ホワツ ア クレージイ》野郎だ! ピンからキリまで雷のことばかり書いてやがる」
と目を廻してせっかくの親切な相手を、莫迦《ばか》扱いしてしまった。
その西班牙語の手紙の中で、今でも覚えてるのは、ここに特筆して御報いたしたきは、
「数年前、小生は智利《チリー》アリカ北方の砂漠を旅行中、三度も烈《はげ》しき雷鳴の轟《とどろ》き渡るを聞けり」
という一節であった。砂漠というところは、雨が降らねえからカサカサして、砂漠になったのであろう。雷は雷雲によって発生するものであり、雷雲は雨を伴う。だのに砂漠で雷が轟き渡るとは、コレいかに? 解《げ》せねえ話じゃねえか! と思ったが、ともかく日本広しといえども、砂漠で雷が鳴ることを知ってるのは、俺一人であろうと、私は得意になった。これだけの未発見の知識を、私一人で蔵しておくのは、勿体《もったい》ねえから中央気象台にも教えてやろうか! と思わぬでもなかったが、いつかウソを吐《つ》いて、私を逗子《ずし》で酷《ひで》え目に遭わせた恨《うら》みがあるから、止めにしてくれた。
ついに雷専門の雑学者
頼まれもせんのに外国まで問合せを出すバカだから、もちろん逢う外人もって、失礼ですが御地では雷《サンダー》は鳴りますかね? とばかり、片っ端から聞く。オウ、イエス! というのが、大概の人の返事であった。オウストラリアのメルボーンでも鳴る。シドニイも鳴る。亜米利加《アメリカ》は至るところ鳴る。殊にシカゴあたりは非常に猛烈だと、ある亜米利加人が教えてくれた。
しかれば、世界至るところ、雷の鳴らぬところはねえということになるのだが、神は何が故にこんな人騒がせな、迷惑極まるものをゴロゴロピカピカ至るところに暴れさせるのだろうか? と、私は慨嘆これを久しゅうしたことであった。カタコトの英語を振り廻して難儀しながら外国人にまで雷のことを聞く男であったから私はもちろん、日本人にはなおのこと、聞いてみる。
時に、どうです、あなたのお国の方は、雷は酷《ひど》いですかね? なぞと、他人事《ひとごと》みたいな顔をして聞いてみる。そこで今、その蘊蓄《うんちく》の一端を羅列してみると、まず満州、昔はサッパリ鳴らなかったが、日本人が入り込むようになってから、大分鳴り出したという話。ただし、あんまり強くはねえそうだ。次は札幌を中心とした北海道、これも以前はあまり鳴らなかったが、最近は内地並みに鳴り出したという話。もちろん酷いことはないであろう。京都は酷い。熊本も酷い。甲府も酷い。殊に酷いのは、富士山麓地方。
関東では、日光から出て、宇都宮方面へ流れ出してくる雷雲。負けず劣らず酷いのが、伊香保《いかほ》を中心として榛名《はるな》をめぐって、前橋、高崎あたりを襲うやつ。この辺のは、ガラガラゴロゴロなぞという生易《なまやさ》しい音ではない。ズバン! ズバン! バリバリバリバリババーン! と頭の上ではなく、空の横ッチョあたりのところから紫色の火花を散らして、釣瓶《つるべ》打ちにして雷撃してくる。もう一つ酷いのが、軽井沢、そして信州の山岳地帯。上州や信州では、毎夏必ず五人や十人は雷のために死人が出る。だから私は、自分の故郷でありながら、上州や軽井沢の方へは、絶対に足を向けないのだ。あんなところに住んでる人の気持が知れん! とある時私は、以上のような話を、ある小説家にしたことがある、と思ってくれ。
「驚いたね、これは!」
とその小説家先生が腹を抱えたから、雷学の私の蘊蓄《うんちく》のほどに驚嘆したか? と思いの外《ほか》、
「君は小説家だと思ったら、これは驚いた。雷専門の、雑学者だね。私設雷専門取調委員長ってところだね……つまり……ソノ……臆病なんだな」
と吐《ぬか》したには、腹が立った。以来私は、この小説家とは道で逢っても、口もきかん。
ともかく何と笑われても私は雷が怖くて、恐ろしくて仕方がない。雷を嫌悪し憎悪し、恐怖し、呪詛《じゅそ》し、戦慄《せんりつ》するもの私のごときはないであろう。そしてこれをもってこれを観れば、私という人間はいい年をしてよほどの、臆病者なのであろう。
臆病なればこそ、五尺六寸四分の大《でか》い図体《ずうたい》をして、鬼をもひしがんばかりの獰猛《どうもう》な人相をしているくせに、カミナリが怖いなぞと、バカばかりほざいているわけなのであるが、しかし自分ではそう思いながらも、人から臆病もの呼ばわりされると、無性に腹が立つ。
私が雷を恐れるのは、何か私の身体が特別に雷の感度に鋭敏な、電気の良導体みたいにでき上がっているからであろう。臆病とか臆病でないとか、そんな人間の本質なんぞに関係のある話ではないぞ。昔、豪勇なる武士で、青蛙《あおがえる》を見ると口がきけなくなるという蛙の良導体みてえな、豪傑があったではないか! と、理屈の一つもヒネクリたくなるのであるが、何と詭弁《きべん》を弄《ろう》しても、結局は臆病なるが故の、させるわざであろうと心の中で苦笑している。
その反動からかは知らないが、
「私は臆病です、ですから雷が嫌いなのです」
と、正直に告白している人を見ると、私はその人に何ともいえぬ親愛と、尊敬の念の湧《わ》き出《い》ずるのを、禁じ得ない。
今の世代の読者には親しみのない名かも知れないが、昔「肉弾」という本を書いた桜井忠温《さくらいただよし》という有名な陸軍少将があった。どうせ少将なら、髭《ひげ》でもヒネッて踏ん反り返ってつまらねえ野郎だろうと思っていたが、何かの本に、
「大砲の弾よりも爆弾よりも私は、雷がオッカナイ」
と、このヒトが書いているのを見た途端から、私はこの少将に多大の親しみと、尊敬を払わずにはいられなくなった。
最近では、「魚臭くない魚の話」とかいう本を書いた、東大教授の末広恭雄《すえひろやすお》という博士がある。この人も何かの雑誌に「雷がオッカナイ」ということを率直に告白していた。それを見た途端、やはりこの人にも私は、言わん方ない親愛を感ずるようになった。
同病相憐れむ、気持の現れかも知れないが、世の中には雷の嫌いな人も、決して尠《すくな》くないであろうと考える。もしそういう人が、私にも親しみと尊敬を懐いてくれたら、有難てえことになるぞ!
と思ったから、ちょっと人直似《ひとまね》して[#「人直似《ひとまね》して」はママ]、正直ぶってバカばかり並べ立ててみた次第。尊敬してくれんでもいいから、笑わんでおいて欲しい。
底本:「橘外男ワンダーランド ユーモア小説篇」中央書院
1995(平成7)年12月4日第1刷
初出:「旅」
1952(昭和27)年8月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年11月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
橘 外男 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング