、眉《まゆ》だけは濃く張っている。元気な時はさぞ上品な人だったろうと、昔の偲《しの》ばれるような凜《りん》とした、顔立ちであった。
裾《すそ》に、看護婦が二人|畏《かしこ》まっている。ともかく仰臥しながら私を迎える瞳も光を失って、何さま、重篤な病人であることは一目でわかるが、こんな若い年で、後二、三カ月の命と宣告された親の気持は、どんなであろうと再び暗い気持に襲われた。持って来た薔薇《ばら》を、看護婦が生けている。
「長い間お眼にかかりたいと思っておりましたが……先生よく来て下さいました……」
と喘《あえ》ぐように、病人がいう。
「……有難うございました……何とお礼を……申上げていいか……」
声が嗄《しわが》れて、語尾が口の中で消えて、痛々しい。
「去年から……一遍先生にお眼にかかって……話を聞いていただこうと思っていましたが……ほんとに、よく来て下さいました。……もううれしくて……うれしくて……」
痰《たん》が喉《のど》に絡まるのであろう、看護婦が綿棒で取ってやっている。
「手紙が書けないものですから……使いにわけを話して……お迎えに上げたのですが……私のいうことが、ちっとも伝わりませんで…」
「…………」
もっと気の利《き》いた使いが来て、事情さえわかればこんな酷《ひど》くならないうちに、来たものを! と再び後悔した。
「看護婦に頼んで、お手紙も差上げましたが……それも伝わらなくて……でも……よく来て下さいました。ほんとに何と……お礼を申上げて……よろしいやら……」
疲れるとみえて、言葉を切っている。話をしても差し支えないかと聞いたら、どうぞ! という看護婦の返事であった。看護婦二人が気を利《き》かせて、隣の部屋へ退《しりぞ》く。
「もう……わたくしも……そう長い命ではありません。……昨日も母が……しておきたいことがあったら、何でもして上げるから……遠慮なくおいい! といいますので……先生のことを話しましたら……今日早速……いってくれまして……」
「御事情を、存ぜぬものですから……御病気ならお直りになってから、御用を手紙で仰《おっ》しゃって下さったらよろしいと、その時は失礼なことを申上げました。しかし、今日、お母様にお眼にかかって、御事情もよくわかりました。こんなことなら、もっと早くに伺って、私のできることは何なりと、いたして差上げればよかったと、後悔しております」
と私は、わざと笑って見せた。
「しかし、もうこうやって伺っているのですから、そんな済んだことなぞはどうでもよろしいじゃありませんか! 私の方でも勘違いしていたことがあり、貴方《あなた》の方にも、御意志の伝わらなかった点があったでしょうが、済んだことはもう、お触れにならないで、それより私にどういう御用がおありになるのか? それを伺って、できることは喜んで、致そうと思っています。御用を、仰しゃってみて下さいませんか」
「そういって下されば……この上もありませんけれど……」
と病人は、天井に眼を投げながら、咳《せき》こんだ。ともかく病人のいうのには、人に話したら間違いなく、一笑されるであろうけれど、しかし自分だけには絶対に、笑うことも打ち消すこともできぬ、不思議きわまる出来事がある、というのであった。不思議というか恐ろしいというか? 病気になって以来まる二年間、こうして寝ていても一日として、その出来事は頭から離れぬ。
いいや、離れぬどころか! この半年ほどは、ほとんど四六時中……殊《こと》にこの頃は死期が迫ったとみえて、一時《いっとき》たりとも脳裏を去ったことのない、恐ろしい出来事がある、というのである。おそらく誰に聞かせても、こういう話を真実としては、受け取ってくれぬであろう。偶《たま》に、受け取ってくれる人があるとしても、おそらく顔色変えて逃げ出してしまうくらいが関の山であろう。事件の性質上、今日まで父母にもヒタ隠しにしていた話だというのであった。
それで今まで使いを出したり、看護婦に頼んで手紙を書いてもらったり……それがためにかえって、自分の意志も伝わらなかったが、先生ならばこういう話を聞いて下さっても、決して笑いもなさらなければ、逃げもなさらないで、きっと親身になって聞いて下さるに違いないという気がする。それが一度先生にお眼にかかって、とっくりとこの話を聞いていただいて、自分もこの世に思い残すところなく安心して行くところへ行きたいと思っていたと、こういうのであった。
要領を掻《か》い摘まんでみれば、大体、こういうことになる。が、そうかといって、この話を聞いていただいたからとて、今日先生に小説に書いていただきたいと思うのでもなければ、また世の中にこういうことがあるものかないものかなぞと、先生に質疑したいと思っているわけでもない。先生がお書
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