あきら》めのつくことです。どうしても諦めのつかぬことは、その国内の混乱の最中に、旧財閥や旧富豪階級は、ことごとく共産政権の粛正の血祭りにあげられて、投獄されたり、追放されたり、死刑になったものも数知れずある、という噂《うわさ》だったのです。
 今日まだ行方のわからぬものが、三万何千人とか! その筆頭第一に、大切《だいじ》な祖父のドラーゲ・マルコヴィッチの名前があげられて、叔父のウラジミールも、叔母のヴィンチェーラも、一族一門ことごとく、消息を絶っていることだったのです。
「あれから七年、……もう誰も、生きているわけもありませんわ。殺されているのか、乞食《こじき》のようになって、国内のどこかで死んでしまったのか? ……おわかりでしょう? 父はここを離れることが、できないのですわ。ここを処分して、新しい住居《すまい》へ移ることが、できないのですわ。ここならば、祖父も叔父も叔母もみんな、住所を知っています。ここを動いてよそへいったら、もし自分を頼って日本へ落ちのびて来た場合、さぞみんなが困るだろうって……。
 もうホテルの夢もなければ、観光地の夢も何もなくて、ただ祖父や叔父叔母みんなの消息だけを待っているのですわ。どうしても諦めがつかなくて……今日は亡くなった知らせが来るか、明日《あした》は乞食のようになって、誰か頼って来るかって……。
 お前たちは若いのだから、こんなところにいる必要はない、長崎へお帰りって……でも……父を見棄てて、どうしてわたくしたちばかり、そんな賑《にぎ》やかなところへ帰れましょう? いますわ……いますわ……わたくしもいますし……スパセニアも、いますわ……父と一緒に……一生涯でも! ……もうわたくしたちには、ここを離れて、帰るところは……どこにも……ありませんわ……」
 陽《ひ》が雲に遮られて、湖水の上が薄《うっす》らと、翳《かげ》ろってきました。が、その瞬間に、私には今日まで二日間の疑問が、淡雪《あわゆき》のように消え去るのを覚えました。
 なぜこの人たちには母親もなくて、そして明るい美しい立派な人たちでありながら、なぜこんな淋《さび》しい山奥の無人の高原なぞに、親子三人だけで暮してるのだろうか? という、今日までの疑問のすべてが腑《ふ》に落ちても、何としても私には、彼女を慰める言葉が見出《みいだ》せなくて、じっと、うなだれていたのです。

      五

 もちろん、彼女は暗い面持《おももち》で、ボソボソと人の哀れみなぞを惹《ひ》くような調子で、身の上語りをしていたのではありません。また日本政府や憲兵隊の取り扱いぶりを、非難しているのでもありません。時々思い出して涙ぐんではいましたが、大体にきわめて明朗に、淡々として、好奇心で私の問うに任せて、こんな話をしてくれたに過ぎないのです。
 そしてまた、本国の財産が没収されようと、長崎の帰る家はなくなろうとも、彼女たちは決して貧しいという身の上ではありません。昔の境遇に較《くら》べれば、烈《はげ》しい転変を見せてるとはいえ、まだこれだけの厖大《ぼうだい》な地所を持って、立派な家があって、庭園があって……たとえこの湖や、地所の一部農場の一つも手離したとしても、おそらく普通の人には想像も及ばぬ、莫大な金が入ってくるに違いありますまい。まったくの貧乏な身の上というのではありません。
 が、しかし、仮にもユーゴの、銅山王とまでいわれた人の孫娘たちが、山の奥に住んで立ち腐れの工事場を抱えて、戦争の痛手を受けて何もかも、滅茶滅茶《めちゃめちゃ》になっていると知っては、まったく何といって慰めていいかが、わからないのです。殊《こと》に、私の心を打ったのは昔の恩人である祖父の安否を気遣って、当てにもならぬ消息《たより》を待って、この山奥に暮している父親の尊い心と、その心の中を察して、世の中の華やかさ賑《にぎ》やかさを振り向きもせず、この人気《ひとけ》のないところに住んでいる娘たちの優しい心持だったのです。それが、何ともいおうようない気持を私に起させて、私は涙ぐましい感激に打たれました。
 彼女は膝《ひざ》の上に両肘《りょうひじ》を凭《もた》せて、頤《あご》を支えながらじいっと、湖へ瞳《ひとみ》を投じています。彼女に膝を並べて、私も言葉もなく、湖を眺《なが》めていました。何の不自由もない富豪の家に生まれながら、なじまない父の国に憧《あこが》れて来たばっかりに、数奇《すうき》な運命に弄《もてあそ》ばれている娘……そして今では、ここよりほかに国も家も持たぬ娘……妹と父親のほかには、一家一門おそらくは死に絶えてしまったのであろう孤独な身の上……と、思うと、彼女は別段暗い面持もしてはいませんが、それだけに私の心の中には、暗い侘《わび》しさが水のように忍び寄ってくるのです。
 そして、適当な
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