こから大野木を抜けて小浜まで、自動車道路を作るつもりで、予定していたんですけれど……」
 とジーナはふり向いて、丘の彼方《かなた》を指さしました。口では強そうなことをいいながらも、残念なのかスパセニアも――残念そうといって悪ければ、名残《なごり》惜しそうに工事の残骸《ざんがい》を、見返り見返り金髪を靡《なび》かせながら、男のように洋袴《スラックス》の足を運んでいます。
 これだけの広大な地所を買い占めて、これだけの雄大な大計画を立てた、娘たちの父親という人は……パパは鉱山技師だと、スパセニアはいいましたけれど、一体、どういう人なのだろうか? と、私はそんなことを考え考え、娘たちは仕事の挫折《ざせつ》した父親の心の中を察していたのかも知れません。黙々として歩を運んでいるうちに、潮の香がプウンと強烈に鼻を衝《つ》いて、道が砂だらけになって、ようやく岬の突端へ立つことができました。
 いよいよ、東水の尾岬の突端へ、出て来たのです。工事場からここまで、十二、三町くらいはあったでしょうか? そして、たった今工事場で驚嘆の叫びを上げた私は、この瞬間、またもや嘆声を発せずにはいられなかったのです。見ゆる限り海波が渺茫《びょうぼう》として、澎湃《ほうはい》として、奔馬のごとくに盛り上がって、白波が砕けて奔騰し、も一度飛び散って、ざざーっと遥《はる》かの眼下の巌《いわお》に、飛沫《しぶき》をあげています。
 豪宕《ごうとう》というか、壮大無比というか!
「あ、危ない、まだそこの欄干《てすり》が、できていませんわよ……」
 落ちたら最後、もちろん、命はありません。からだが粉々に砕け散ってしまうでしょう。眼下数百|呎《フィート》というか、数百丈というか? 切り立つように嶮《けわ》しい断崖《だんがい》です。その断崖の真下に打ち寄せて来る波は、千千石《ちぢわ》湾から天草灘《あまくさなだ》を越えて――万里舟を泊す天草の灘、と、頼山陽《らいさんよう》の唄ったあの天草の灘から、遠く東支那海へと列《つら》なっているのでしょう。
 そして右手の方、紫に淡く霞《かす》んでいるのは、早崎《はやさき》海峡を隔てて天草本島かも知れません。点々として、口の津らしいところが見えます。加津佐《かづさ》あたりと思《おぼ》しい煙も、見えます……瞳《め》を転ずると、小浜《おばま》の港が、指呼《しこ》のうちに入ります。万里の海風が颯々《さっさつ》として、ここに立っていても怒濤《どとう》の飛沫《しぶき》でからだから、雫《しずく》が滴り落ちそうな気がします。
 景観……大景観……無双の大景観です。父が旅行が好きなので、伴われて私も随分各地の景色を、見て歩きました。が、まだ、これほどまでに雄大無双の景観というものは、眼にしたこともありません。もう一度私は、さっきの地下工事場を、ふり向いて見ました。
 あすこにもし、四階建ての大ホテルでも聳《そび》えたならば、ホテルは夜の不夜城のごとく海原《うなばら》遠く俯瞰《ふかん》して、夏知らずの大避暑地を現出するでしょう。たしかに、東洋一の大景勝地ホテルの名を恥ずかしめはしないでしょう。父親ならずとも私だって、金さえあればここへホテルを、建てたいくらいです。
「道だけは、あすこへ拵《こしら》えてありますのよ。降りて御覧になります?」
 なるほどジーナの指ざすとおり、二、三町先には絶壁をえぐって、急な幾百階かの岩の階段が、斜めに刳《く》り抜いてあります。危険を慮《おもんぱか》って、そこにだけはさすがに鉄の鎖で、欄干《てすり》が設けられて、波打ち際まで攀《よ》じ降りするようになっていますが、しかし私は降りませんでした。降りたところでただ飛沫《しぶき》に打たれるばかり、この辺の海は荒くて泳ぎも海水浴も、できる場所ではありません。ここから七里小浜近くまで行かない限り、波は穏やかにならないということです。
 スパセニアのいう柳沼という湖は、そこから草原を南の方へ二、三十分ばかりの距離……なるほど、そう大きな湖水ではありません。が、水は清冽《せいれつ》で底の藻草《もぐさ》や小石まで、透《す》いて見えるかと疑われるばかり、そして四周を緑濃い山々が取り囲んで、鳴き交う小鳥と空飛ぶ白雲のほかには、訪れるものもない幽邃《ゆうすい》さです。
 恍惚《うっとり》と私は、眺《なが》め入りました。眺めても眺めても、眼に入る限り雲と山と、小鳥と鬱蒼《うっそう》たる樹木ばかり……もしさっきの雄大な景観がなかったとしても、浮世の塵《ちり》に汚されぬこんな美しい湖一つだけでも、もし私が大人だったならば、ホテルの一つぐらい作りたくなったかも知れません。
「ホテルを作ったら、ここに白鳥を放して、快走艇《ヨット》や遊覧ボートをうかべて、日本へ来る外人客をみんな呼ぶんだって、パパは楽しみにし切っ
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