しまったのです。
 もちろん、私の心の中からこの家に対する不思議さが、消えてしまったわけではありません。なぜ、こんなところにこの人たちは住んでいるのか? そしてこの家にはなぜ、母親がいないのだろうか? なぞと、いいえそんなことが、不思議だったくらいではありません。今夜娘たちの話を聞くと、いよいよ謎《なぞ》のように解けぬものが、私の心の中で止め度もなく、拡がってくるばかりです。
 妹のスパセニアの話によれば、父親は鉱山技師だというのです。あの周防山《すおうやま》の麓《ふもと》から、明日私の行こうとしている小浜《おばま》のこっちの大野木村の入口まで、この広大な土地を持っているということは、容易なものではありません。大変な金持です。その大金持が、なぜ世の中に隠れて、こんな淋《さび》しいところに引っ込んでいるのか? 引っ込んでいるのはともかくとしても、そして大野木村の開墾地まで、用水を引いているのもともかくとしても、その蜿蜒《えんえん》たる四里の溝渠《インクライン》が、なぜ、ウォーターシュートの水遊びを兼ねているのか? まさか、この二人の娘たちのためばかりではありますまい。
 一体あの父親というのは、どういう人なのだろうか? なぞとそれからそれへと疑問が果てしもなく湧き起って、尽きるところがないのです。しかも、そうした疑問を抱きながらも、寝台《ベッド》や羽根蒲団《クッション》は、相変らずふくふくとして柔らかく、円《まど》かな夢を結ぶには、好適この上もありません。考え込んでいるうちに、蝋燭《ろうそく》の仄《ほのか》な光でまた私は、朝まで何にも知らずにぐっすりと眠り込んでしまいました。
 満ち足りた眠りから醒《さ》めた、快い翌《あく》る日の朝は、日本人の私が慣れない肉やパンのお付き合いではお辛《つら》いでしょうと、特別に私のために米の飯を炊いてくれ、味噌汁《みそしる》も拵《こしら》えてくれました。父親は、マンガンで夢中になっているのでしょう、その朝も早く出かけてしまったとかで、私が起きた時にはもう、姿も見えませんでした。
 さて、五月《さつき》晴れの麗《うら》らかに晴れた青空の下を、馬にも乗らぬ娘二人に案内されて、四頭の逞《たくま》しい馬のいる馬小屋を見て――そのうち栗毛の馬だけは、今父親が乗って行って留守でしたが、もちろんこれらは、農耕用の輓馬《ばんば》ではありません。いずれも御料《ごりょう》牧場育ちの、四歳、五歳という乗馬用のアラブ種ばかりです。
 その立派な馬を見てから、爪先《つまさき》上がりの草原を海岸へ足を向けて、娘たちの家からいくつの丘を越え林を越え、野を越えて来た頃でしょうか? 風致のいい赤松の丘の中ほどで、呀《あ》っ! と思わず私は立ち停まりました。この山の中に……この山の中に! そしてそれは、なんという壮大さでしょう。
 広々とした深い地下を掘り返して、縦横に鉄柱が峙《そばだ》ち、鉄梁《ビーム》や鉄筋が打ち込まれて、地下工事が施されているのです。しかも雨に打たれ風に晒《さら》されて、鉄柱《ビーム》も鉄筋も赤く錆《さ》びて、掘り上げられた土が向うに、山をなしています。|荷揚げ機《デレッキ》やブルドーザーなぞも打《う》っ棄《ちゃ》られたまま、工事半ばの立ち腐れを見せているのです。
「ほう!」
 と、もう一度私は、驚嘆の叫びを上げました。もちろん今|眺《なが》めているものは、地下工事だけであって、それ以上のものではありません。が、しかし、この交通不便な山の中へ、これだけの資材を搬《はこ》んで、これだけの建設を進めるとは! この地下工事の費用だけでも、何十万円か何百万円か、私なぞには見当も付きません。
「何です、これは、一体? 何を作るはずだったんです?」
「父はここに、ホテルを作るつもりだったんですわ。地下一階の、地上四階の、……一時にお客が、四、五百人くらいも泊れるような……」
 と感慨深げに姉娘のジーナが――昨夜の雑談で、すっかり馴染《なじみ》になって、もうその頃は私も姉娘をジーナ、妹娘をスパセニアと呼んでいましたが、その姉娘のジーナがしゃがんで、感慨深げに中を覗《のぞ》き込んでいるのです。
「東洋一の観光地を作るんだって、随分、楽しみにしていましたけれど……でも、もうそれも、パパの夢物語になってしまいましたわ。止《や》めたんですの……止めたというよりは、お金が続かなくて、できなくなったんですわ」
「悲観しなくたっていいわよ、パパですもの、このまま引っ込んでおしまいに、なりはしないわ。またきっと、立派にやり遂げなさるわ! わたし、パパを信じているわ……今にマンガンが当れば、こんなもの、造作なくでき上がるわ」
「それは、そうでしょうけれど、……でも今のところは、一時立ち腐れね」
「ほう、東洋一の観光ホテルを!」
「そして、こ
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