を引き摺《ず》って、ぼんやりと私は、そのつづら折りの山道を登っていましたが、登り詰めると、今度は山の背を大分行ったところで……こんもり繁った大きな木の下あたりで、もう一つ、右手の山をめぐる小径《こみち》に分れているらしい様子です。
 さっきからもう小一里近くは、来ていたかも知れません。そこで私はしばらくやすんでいました。が、うとうととして、ハッと気が付いて顔を上げましたら、そこの小暗い木陰の道から、サヤサヤと誰か草でも分けて来るような音がしていました。疲れていましたし、気もぼんやりしていましたから、その時のことをハッキリと今、思い出すことはできないのですが……。
「先生、その地図には出ていません、こまかいところですから……水の尾村とした左手の方に笹目沢というところがありましょう? その右手の赤名山と、その笹目沢との中間ぐらいのところなのです」
 と地図を見ている私に、病青年は注意した。
「おう! 僕だよう……やっと来たんだよう!」
 と、私は夢中で躍り上がりました。
「ジーナ! スパセニア! 僕だよう!」
 にこにことほほえみながら近づいて来るのは、なんとなんと! 今の今まで、一日一杯私が探して探して探し倦《あぐ》ねていた、ジーナとスパセニアだったのです。
「おう、ジーナ! スパセニア! 僕だよ、僕だよう! やっと来たんだよう!」
 と私は、狂気のように手を振りながら、駈《か》け寄りました。
「どこにいたんです? 僕は探して探して……厩《うまや》からあの海岸から……湖水の方まで行って……しまいには溝渠《インクライン》に沿って曲り角まで降りていって……もうへとへとに疲れちゃって……ど、どこにいたんです?」
 私は、自分が夢中でしたから、二人が何といったか、どんな顔をしていたかを、もう覚えていません。今から考えると、ほほえみながらも妙に沈み切った、青白い顔をしていたような気がします。
「僕は病気をして、どうしても一昨年《おととし》も去年の夏も、来ることができなかったんです。今年もやっと、三月頃から起き出して……この夏、もっともっと早く来ようと思ってたんですが家がやかましくてなかなか、出られないもんですから……」
 と、私は息急《いきせ》き切って、病気で来ることのできなかった今日までの事情を、まず詫《わ》びました。
「貴方《あなた》がたのお住居《すまい》を調べるために、これから水の尾村へ行って、明日《あす》は村役場へ行ってみるつもりでいたんです。しかし、貴方がたに逢《あ》えば、もうその必要はない。これで安心した……さ、どこにお住居です? 連れてって下さい……今どこに……?」
「わたくしたち、火事に遭いまして……それに父も亡くなりまして……」
「お、お父様が、お亡くなりになったんですか……知らなかった、知らなかった……それで今、どこにいるんです?」
「このずっと先に……みんなで小さな家を建ててくれまして……二人で、そこに住んでおりますの……」
「じゃ、さあ、行きましょう、そんなら何も、水の尾なぞに、行く必要はないんです」
 と私は勇み立ちましたが、なぜか二人は浮かぬ顔をしているのです。
「でも、そこはほんの二人だけの……陋《むさ》くるしいところですから……せっかくいらして下さっても、お泊めすることもできませんの。……ですから、せっかくいらして下さいましたけれど……今夜は水の尾へお泊りになって……明朝《みょうあさ》もう一度訪ねていただけません? そうすれば……わたくしたち途中までお迎えに上がりますから……」
 あとから思えば、せっかくこれほどまでに意気ごみ切って逢《あ》えたのですから、二人とも、もっともっと喜んでくれてもよさそうなものを……と、多少不本意に思わぬでもありません。二人とも妙に口数が尠《すくな》くて……そして気のせいか、それとも薄暗い木陰のせいか、顔色が青ざめ切って、悄然《しょんぼり》としているように思われます。
 が、今聞けば、家が焼けたさえあるに二人の頼りにし切っている父親まで亡くなったというのですから、これでは気の浮こう道理はありません。そして約束を破った私に腹を立ててもいるのでしょうから、沈み切っているのも無理はない……とその時は思ったのです。
 ともかく聞いてみたいことは山ほどあります。父親も亡くなったのに、なぜまだ二人は、こんな山の中に住んでるのか? それなのにどうしてこの春は、神保町《じんぼうちょう》でジーナに逢い、スパセニアはわざわざ私の家まで訪ねて来たのか? 水番の六蔵や馬丁《べっとう》の福次郎、農夫たちの姿も見えなかったようだが、みんなまだいるのかどうか? そして今見れば、ペリッもいないようだが、あの犬や馬はどうしたのか? それからそれと聞きたいことは胸一杯わき起っていましたけれど、では何事も明日《あした
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