物好きとみえて、そして書物だけがこの淋《さび》しい生活の、唯一の友達とみえて、ユーゴの書物もあれば仏蘭西《フランス》の書物もあり……一歩戸外に出れば、荒涼落莫《こうりょうらくばく》たる無人の高原でありながら、部屋の中にいさえすれば、東|欧羅巴《ヨーロッパ》文化の唯中《ただなか》に佇《たたず》んでいるような、錯雑した気持を覚えたことを、今に忘れることができません。
 ジーナに呼ばれて、リューマチに効くという温泉に入ったり、湯上がりの生き返った気持で芝生に佇んだスパセニアや、ユーゴの人形を抱いたジーナ、そして薔薇《ばら》に埋もれたスパセニアなぞの、五、六枚の写真を撮りましたが、私はその後二年ばかりたって竦然《ぞっ》とするような事件のために、身震いしてこれらの写真をことごとく燃やしてしまいました。
 今この写真さえあれば、貴方《あなた》にも御自身の眼で見ていただいて、私の話も信じていただけるのに! とつくづく残念な気がしてならないのです。

      六

 パパも喜んでますのよ、とジーナはいいましたが、その言葉に偽りはありませんでした。翌《あく》る日、二、三日ぶりで私は父親と居間で顔を合わせましたから、居心地のいいに任せてこうして、無遠慮に御厄介になっていて申訳ないと謝りますと、いやいやそのお礼は、私の方からこそと、父親は丁寧な調子でいうのです。
 こんなところで何のおかまいもできないと、自分は忙しくて碌々《ろくろく》お相手もできないが、貴方《あなた》がおいでになって二人の娘が、どんなに喜んでるかわからない。あんなに二人が楽しそうな様子をしているのは、戦争以来初めてといっていいかも知れぬ。差し支えなかったら、幾日でもどうぞ、ゆっくり滞在していって欲しいというのです。娘たちの楽しげな様子を見ているほど、父親としてうれしいことはないのだからと、言葉を添えました。
 そして、明日《あした》から山のことで自分はちょっと、長崎の鉱務署まで出かけなければならないが、そのついでに二、三人調査に連れて来なければならぬ人もあるので、四、五日留守をするが、その間もし遊んでいってもらえるなら娘たちもどんなに心強いか知れないというのです。初めて来て、どこの馬の骨だかわからない人間が、お留守に遊んでいって大丈夫でしょうか? と聞いてみましたら、わたしは何の取り柄《え》もない人間だが、どんな人か
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