っちへ逃げこっちへ逃げして、言語に絶する辛酸を舐《な》め尽しました。それでも翌年の春には、ゼニツアという鉱山で働くことができたというのです。
そしてその働いているところが、ある日、鉱山主の眼に留まって、言葉もわからぬ異郷でいたいけな日本の子供が苦労しているのを哀れに思った鉱山主のお陰で、昼は働きながら夜は鉱山経営の夜学校へ通わせてもらうことができるようになったというのです。
が、案外成績がいいので教師たちから惜しがられて、今度はイドリアの中学校《ギムナジューム》へ……そこを終るとさらに高等学校《リッツエ》へと、いずれも思いのほかに成績がいいのに驚いて、鉱山主も本式に身を入れ出しました。そして高等学校《リッツエ》を終ると正式に学資を出してくれて、首都のベルグラードの大学《ユニヴァルステート》へ入れてくれました。もう働かなくても、勉強できる身の上になったのです。
専攻は、採鉱|冶金《やきん》学……もともとが、無理な生いたちをしているのですから、学校も年を取ってから出て、二十九の年にやっとベルグラード大学を卒業することができました。そして鉱山主の頼みで、その長女と結婚して鉱山主の事業を助けることになったというのです。
「その鉱山主がドラーゲ・マルコヴィッチといって、わたくしたちの祖父……長女というのが、母ですわ。でも、祖父の鉱山といったところで、そう大きな銅山ではありませんのよ。その時分は、三流四流の小さな銅山だったということですけれど、結婚して一心に祖父を助けて、二十年ばかりのうちに父の努力一つで、銅山は採量が増して、今ではユーゴ国内で一、二を争う産出額を持つようになりましたの。そのほかに、銀山の大きなのを一つと、クロアティアのマイダンペックに、モリブデンの鉱山まで、持てるようになりましたの」
鉱山主の長女である姉妹《きょうだい》の母親は、スパセニアが生まれると間もなく世を去って、姉妹とも母の味というものを、ほとんど知らないというのです。物心ついてからは、ただ父親の慈愛一つに育《はぐく》まれて、その時分姉妹の住んでいた本邸は、首府のベルグラード郊外、そこで三十人近くの召使に侍《かしず》かれて、別邸は銅山の所在地のゼニツアの町に一つと、ボスニア・ヘルツェゴビナ州のサライエボという美しい都会にも、避暑用として一つ……。
ユーゴの銅山王マルコヴィッチの孫娘と呼ばれて
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