の海風が颯々《さっさつ》として、ここに立っていても怒濤《どとう》の飛沫《しぶき》でからだから、雫《しずく》が滴り落ちそうな気がします。
景観……大景観……無双の大景観です。父が旅行が好きなので、伴われて私も随分各地の景色を、見て歩きました。が、まだ、これほどまでに雄大無双の景観というものは、眼にしたこともありません。もう一度私は、さっきの地下工事場を、ふり向いて見ました。
あすこにもし、四階建ての大ホテルでも聳《そび》えたならば、ホテルは夜の不夜城のごとく海原《うなばら》遠く俯瞰《ふかん》して、夏知らずの大避暑地を現出するでしょう。たしかに、東洋一の大景勝地ホテルの名を恥ずかしめはしないでしょう。父親ならずとも私だって、金さえあればここへホテルを、建てたいくらいです。
「道だけは、あすこへ拵《こしら》えてありますのよ。降りて御覧になります?」
なるほどジーナの指ざすとおり、二、三町先には絶壁をえぐって、急な幾百階かの岩の階段が、斜めに刳《く》り抜いてあります。危険を慮《おもんぱか》って、そこにだけはさすがに鉄の鎖で、欄干《てすり》が設けられて、波打ち際まで攀《よ》じ降りするようになっていますが、しかし私は降りませんでした。降りたところでただ飛沫《しぶき》に打たれるばかり、この辺の海は荒くて泳ぎも海水浴も、できる場所ではありません。ここから七里小浜近くまで行かない限り、波は穏やかにならないということです。
スパセニアのいう柳沼という湖は、そこから草原を南の方へ二、三十分ばかりの距離……なるほど、そう大きな湖水ではありません。が、水は清冽《せいれつ》で底の藻草《もぐさ》や小石まで、透《す》いて見えるかと疑われるばかり、そして四周を緑濃い山々が取り囲んで、鳴き交う小鳥と空飛ぶ白雲のほかには、訪れるものもない幽邃《ゆうすい》さです。
恍惚《うっとり》と私は、眺《なが》め入りました。眺めても眺めても、眼に入る限り雲と山と、小鳥と鬱蒼《うっそう》たる樹木ばかり……もしさっきの雄大な景観がなかったとしても、浮世の塵《ちり》に汚されぬこんな美しい湖一つだけでも、もし私が大人だったならば、ホテルの一つぐらい作りたくなったかも知れません。
「ホテルを作ったら、ここに白鳥を放して、快走艇《ヨット》や遊覧ボートをうかべて、日本へ来る外人客をみんな呼ぶんだって、パパは楽しみにし切っ
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