んな莫大《ばくだい》な数量は忘れてしまいました。ともかく、東水の尾というこの字《あざ》だけは、全部父親の物だというのです。そして四里先の大野木村の端《はず》れには、父親の故郷の平戸島から二十軒ばかりの百姓を連れて来て、今、開墾させているというのです。
「そうそう……この奥の方に……家《うち》から半道ばかりいったところに、綺麗《きれい》な湖がありますのよ。柳沼《やなぎぬま》っていって……回り一里半ばかりの、小さな湖なんですけれど、水門を作ってそこから開墾地まで、溝渠《インクライン》が拵《こしら》えてありますのよ。ほんとうは、開墾地へ水を送るために作ったんですけれど、向うにも池《プール》があって……水の上を下《くだ》れるようにって、半分はウォーターシュート用の娯楽に作ってありますの。娯楽にしない時は、荷物運搬《インクライン》用にもなるようにって! とても面白いんですのよ、明日の朝、いって御覧になりません?」
「ほう!」
 とまた私は、歓声を発しました。
「大したもんですね、……いってみましょう、見せて下さい……明日、連れてって下さい……でも、夜になると困るから、朝のうち連れてって下さい。そして、昼っから、僕、発《た》とう!」
「お発ちになるの、かまわないじゃありませんか? よろしかったら、ごゆっくりなさいな……」
 と姉娘が、艶《あで》やかな笑みを見せました。
「そうだわ、お連れしたらきっと乗るって、仰《おっ》しゃるわよ。……でも、駄目ねえ、まだ水が冷たいから……そのうち暑い日が、きっと来ますわ、その日まで遊んでらっしゃいよ」
 と妹娘も口を揃《そろ》えて、いうのです。乗る乗らぬはともかくとして、明日はその湖水と溝渠《インクライン》を見せてもらってから発とうと、私は考えていたのです。こうして話を交わしているうちに、門のところで馬の嘶《いなな》きが聞こえました。
「スパセニア、ほら、パパがお帰りになったわよ」
 父親が帰って来たら、今夜また泊めてもらった礼をいおうと思っていましたが、そんなことは自分たちから知らせておくからかまわないといいますし、姉娘は父親の食事の支度に勝手口へ立ちますし、疲れて帰って来た父親の食事の妨げをしてもいけないと思いましたから、勧めてくれるまままた私は、二階の寝室へ上がって寝台《ベッド》に横になりました。こうしてその晩も到頭、その家へ厄介になって
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