らお出かけになんか、なれやしませんわ。そんなところに立ってらっしゃらないで、こっちへいらっしゃい!」
 さっきの食堂にも蝋燭が点《とも》っていれば、その隣にも、また隣にも、間ごと間ごとに蝋燭が瞬《またた》いて、殊《こと》に暖炉のある居間には、壁にも蝋燭が点《つ》いていれば、卓子《テーブル》の上にも、丈《たけ》高い燭台に三本も点って、電気と違《たが》わぬ明るさです。闇《くらがり》で私の謝った娘は、姉の方だったのです。
 妹娘は安楽|椅子《いす》にからだを埋《うず》めて、明るい燭台の下で厚い洋書らしいものを、読んでいました。きまり悪げに頭を掻《か》いている私を見ると、
「よく眠ってらっしゃいましたわね」
 と笑いながら、顔をあげました。
「さっき、お起しして差上げようかって、……いいえ、灯《あかり》を点けに行く前に……ジーナに相談したら、よくおやすみになってらっしゃるんなら、お起ししない方がいいわっていってましたの。……わたし、戸を閉めに上がったの、御存知ないでしょう?」
 ジーナというのは、姉娘の名前でした。私は頭を掻《か》きながら、赧《あか》くなりました。
「ジーナが仕度してますから、お食事、もうちょっと待って下さいね……わたしたち、一日交替で食事|拵《ごしら》えしてますのよ」
 と娘は、にっこりしました。
「お父様は?」
 と聞いてみたら、
「昼からお山よ! 馬でいきましたの。貴方《あなた》が越えておいでになった周防山《すおうやま》の、もう少し右手寄りに、禿山《はげやま》があるの、御存知? 今日はそこへいきましたの。その山からマンガンが出るんですって! とても良質のマンガンが出るんですって……パパは鉱山技師よ」
 父親は男ですから、こんな無人の高原を何とも思わないかも知れませんが、さて耳を澄ませたこの夜の静けさというものは、ないのです。あちらこちらで梟《ふくろう》がホーホーと啼《な》いて、夜の七時といえば都会では、まだほんの宵《よい》の口です。銀座なぞは人で、さぞ雑踏しているでしょう。
 が、この無人の高原地帯では、万籟《ばんらい》寂として天地あらゆるものが、声を呑《の》んで深い眠りに落ちているのです。私の越えて来た山でも野でも、もう夜の獣《けだもの》たちが暗《やみ》に紛《まぎ》れて、ムクムクと頭をもたげている頃でしょう。若い娘二人で、よくこんなところに住んでられ
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