、どこからその道が曲ったのか? いつか、御影石《みかげいし》を敷き詰めて枝も撓《たわ》わに、五月躑躅《さつきつつじ》の両側に咲き乱れた、広い道路を上った小高い丘の中腹には、緑の山々を背景にした立派な家が、聳《そび》え立っているのです。豪壮というよりも、瀟洒《しょうしゃ》といった方が、いいかも知れません。
 大きな門柱から鉄柵《てつさく》が蜿蜒《えんえん》と列《つら》なって、その柵の間から見えるゆるやかな斜面《スロープ》の庭には遥《はる》かの麓《ふもと》まで一面の緑の芝生の処々に、血のように真赤《まっか》な躑躅《つつじ》や五月《さつき》が、今を盛りと咲き誇っています。眼も絢《あや》な芝生の向うには、滴《したた》らんばかりの緑の林が蓊鬱《こんもり》と縁どって、まるで西洋の絵でも眺《なが》めているような景色でした。家の右手の方もまた、一面の芝生に掩《おお》われて、処々に蔓薔薇《つるばら》の絡みついた白ペンキ塗りのアーチや垣根が設けられて、ここにも白やピンク、乳白、紅、とりどりの花が一杯に乱れています。
 その間に、新築間もないらしい日本家屋と白壁作りの異国風な情緒を漂わせて、洋館が聳《そび》えているのです。私は狐《きつね》につままれたような気持で、突っ立っていました。藁葺《わらぶ》き屋根の農家でも、あろうことか! この山の中に……近い村まで三里もあるという、この人っ子一人姿を見せぬ淋《さび》しい山の中に、この美しい庭や清々《すがすが》しい家屋とは! 東京の町の中にもこれほどの美しい住居《すまい》は、滅多にありますまい。呆気《あっけ》に奪《と》られて私は、眺めていました。
 娘は門前で馬を降りて、出て来た農夫|体《てい》の五十ぐらいのオヤジに手綱を渡すと、そのまま右手のアーチを潜《くぐ》って、私を導き入れました。よほどの花好きとみえて、芝生の間にも幾つかの花壇があって、紅、白、銅、レモン、黄、ありとあらゆる大輪の薔薇《ばら》が、眼も醒《さ》めんばかりにあざやかな色を見せています。
 このアーチを潜った奥が、初めて広々としたテラスになって、籐椅子《とういす》の三、四脚が取り囲んだ向うに、五十七、八とも思われる洋服のデップリとした紳士が、怪訝《けげん》そうな面持《おももち》でじっとこちらに、眼を留めているのです。と、娘はいきなり高い混凝土《コンクリート》の床に駈け上って行って、
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