たその馬のまた、逞《たくま》しく大きくて、立派なこと! まったくこんなところでこういう人に出逢おうとは、夢にも思わぬことでした。昨日から山の中ばかり歩いて、人の姿というものを……いいえ、人の姿どころか! 人家一軒見当らないのです。山を降りて、豁然《かつぜん》として視野の開けた今でも、まだその辺見える限りは、ただ小高い丘や野草の咲き乱れた、高原ばかり! 断崖《だんがい》と見えて、もう海は見えませんが、ただ、荒涼として、落莫《らくばく》として、人家一軒眼に入らないのです。その荒涼|寂寞《せきばく》たる中へ、突然この犬や人が、現れようとは! 穴のあくほど人の顔を見守っていた後、
「これ、ペリッ」
ともう一度振り返って、また咆えかかった犬を叱《しか》り付けました。
「貴方《あなた》は、どこへいらっしゃるの?」
咎《とが》めるようにいった言葉は、立派な日本語です。
「僕は、小浜《おばま》へ行きたいんです……」
「小浜は、向うよ」
と娘は、グルッと鞭で半円を描いて、指さしました。
「まだ六里もありますわ」
「六里?」
と私は、途方に暮れました。
「じゃ、仕方がありません、どこかこの近所に……食事をさせて、休ませてくれるようなところは、ないでしょうか?」
「食事?」
と、娘はびっくりしたように眼を瞠《みは》りました。
「村へ行けば、ないことはありませんけれど……でも、一番近い村だって、三里ぐらいはありますわ」
「三里……? まだ三里も?」
といよいよ私は、途方に暮れました。
「ここは何というところですか?」
「東|水《みず》の尾《お》……水の尾村の東水の尾というところよ……でも、ここは、わたしの家があるだけよ。村のあるところは、もっとずっと向うですわ」
鞭《むち》の指さしているのは、今私の降りて来た躑躅《つつじ》山の、もっとずっと左側の、雑木林の奥の方! ここが一番近くて、それすら三里離れているというのです。そして小浜は、遥《はる》か左手の霞《かす》んだ、海岸線の北の方! この疲れと饑《う》えの足で、まだ六里では私は落胆《がっかり》しました。もう足が意地にも、進まないのです。が、今来た道をその水の尾という村へ戻る気には、どうしてもなれません。
ここから四里ばかり離れて、小浜の町へ行く途中に、大野木という村があると聞いて、私は歩き出しました。その大野木まで行けば、小
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