たけ》高い熊笹に掩《おお》われている、胸許までといっては大ゲサ過ぎるかも知れぬが、股《もも》のあたりくらいまでは、確かにあったであろう。
 それがビッシリと小径《こみち》を掩《おお》い隠して、木の下からこの辺まで約五町くらいもあろう。この辺から黄櫨《はぜ》の木立が、眼立って多くなってくる。
「この辺でごぜえやす。この辺まで下《くだ》って来ますと、あの旦那《だんな》様が、ワァーッ! と逃げ出しになったので、みんな怯気《おじけ》づいて、出たア! と、いやもう大変な騒ぎで逃げ出したでがす」
 藤五郎氏、伊手市氏両人とも、それ以来ここへ来るのは、今日が初めてだという。
「旦那様、見えますでやしょう? あすこに小さく……あれがお墓でごぜえやす」
 なるほど、ポツンと二つ墓も見えるが、それよりもこの景色! なんという素晴らしさ! なんという美しさ、さっき飛沫《しぶき》を上げる東水の尾岬に立って発した感嘆とは、また異なった嘆声をもう一度、私も上げざるを得ぬ。
 傾斜を下り切って、今この野原に立って眼を上げる。見ゆる限り草|蓬々《ぼうぼう》たる大野原! 四周を画《かぎ》って層々たる山々が、屏風《びょうぶ》のごとくに立ち列《つら》なり、東北方、山襞《やまひだ》の多い鬱然《うつぜん》たる樹木の山のみが、その裾《すそ》を一際近くこちらに曳《ひ》いている。
 陽《ひ》はその中腹あたりの岩肌をキラキラと輝かせているが、天地万物|寂《せき》としてしかも陽だけが煦々《くく》として、なごやかにこの野原に遊んでいる。
 向うの山の頂に美しい白雲が泛《うか》んで、しかもその白雲の翳《かげ》を落としているあたり、ヒョロ高い松が二、三本|聳《そび》えて、その根元に墓が二つ……。
 あすこに、美しい娘たちが眠っているのかと思うと……青年ももはや亡く、ただ不思議な縁で、何のゆかりもない私が今、その墓|詣《まい》りに来ているのかと思うと、万感こもごもわき起ってくる。
「あ、旦那様、足許《あしもと》がお危のうごぜえます……」
「貴方《あなた》が、あのお嬢さんたちのお墓を彫ったんだそうだね?」
「へえ、左様でごぜえます。手前が……」
「お嬢さんたちは、生前ここが大好きだったから、それでここへ葬ったとか……」
「旦那様は、大層よう御存知で……」
「ここからあすこまで、どのくらいあるのかね?」
「近くに見えとるでやすが
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