がったでやすが、ジーナ嬢様の死体は、ついその辺から上がったでがして……」
とすれば、左前頭部に一弾を受けて、ジーナが血煙立てて倒れたのも、またこの辺であろう。万籟《ばんらい》闃《げき》として声を呑《の》む、無人の地帯にただ一人、姉の死体を湖の中へ引き摺《ず》り込むスパセニアの姿こそ、思うだに凄愴《せいそう》極まりない。その辺になお血痕《けっこん》斑々《はんはん》として、滴り落ちているかと疑われんばかり、肌《はだ》に粟《あわ》の生ずるのを覚ゆる。
このあとがきをつけるのは、正確な記録を申上げるためなのだから、まず山の名から詳細に書いてゆこう。今登ってる山を唐倉山《からくらやま》という。この山腹を伝い登ること約三十町、志方野を越えて、さらに次の山路に入る。この山を朝倉山という。スグ続いて赤名山の山腹に入る。
この三分の一行程ぐらいのところで、いよいよ問題の細道……※[#「木+無」、第3水準1−86−12]《ぶな》と栃《とち》の大木の繁《しげ》り合った、草むらへ出るのであるが、これらの山道は、いずれもさほど急峻《きゅうしゅん》なものではない。が、頭上に山の頂や隣の峰々が高く聳《そび》え立ち、全山ことごとく樹木|鬱蒼《うっそう》として昼なお暗く、夏でも鳥肌立って、寒けを感ずるであろうと思われる。
「ほら! あすこでごぜえます……あすこであの旦那《だんな》様は、休んでいらっしゃったでごぜえます」
不気味そうに藤どんなる藤五郎氏の指さすところに、なるほど一際こんもりとした、老樹が二本|縺《もつ》れ合っている。
「うとうとしていられると、ちょうどあの木の下から、お嬢様がお二人で、降りていらしたでごぜえます」
もはや噂《うわさ》はこの辺の、静かな山村一円にも拡がっているのであろう。
なむまいだ、なむまいだ、と六蔵が眼を閉じて、また念仏を唱える。いよいよ問題の老樹の下に立つ。
「じゃ、こんだア、こっちの方へ登りますで……大分狭くなってめえりますで、足許《あしもと》に気イお付けなすって……」
詳しくいえば、水の尾村|字亀瀬《あざきせ》というところだそうである。姉妹《きょうだい》二人は墓からこの道を伝わって、さっきの木の下へ出た、と連中はいうのであるが、これは道とは名のみ! 幅一尺もあるかないかの小径《こみち》に過ぎぬ。それが幾年にも人の通ったけはいもなく、両側から丈《
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