をお撃ちになったんだろうって……。
そして、死体を湖へ引き摺《ず》り込んだに違いないと、そういっていられました。お姉さんの死体の上がった場所や何かから見て、警察の方ではそういうことに、決まってるという話でございました」
靴を隔てて痒《かゆ》いところを掻《か》くような、物足りなさは感じるが、四里四方一軒の人家もない山の中の姉妹間の争いであり、処理したのが田舎の警察では、これ以上聞き質《ただ》してみても仕方のないことと、私も諦《あきら》めた。
小浜《おばま》に引き返し、牧田氏の案内で亀屋旅館に投宿する。
先刻の都留《つる》五八氏が訪ねて来てくれた。夕食後、牧田氏、都留氏と卓を囲んで会談する。話によれば、平戸にいる故石橋氏の弟、妹たちから欲に絡んで、東水の尾にある残余の地所、ホテル建設用の地下工事の資材、同じく大野木村に至る、四里の混凝土《コンクリート》の溝渠《インクライン》等、マンガン鉱山の担保になっていなかった一切の資産に対する、継承権の訴訟が起されていたが、生前から平戸の親戚一同を好まなかった石橋氏の遺志を尊重して、水の尾村が主体となって法廷でようやく勝訴の判決を得て、水の尾村では近く、柳沼の水を水不足の沢谷郷方面へも供給すべく、水路の開鑿《かいさく》工事を行う予定だということであった。
スパセニアが投身自殺を遂げた最後の日、開拓地へ残していった愛馬のジュールと、犬のペリッ……ジュールは八十五万円、ペリッは二十七万円で、それぞれ小倉と長崎の素封家《そほうか》へ引き取られて、これらの金は、ことごとく水の尾村役場の石橋家財産管理委員会へ納められたが、管理委員会は目下外務省に依頼して、ドラーゲ・マルコヴィッチ氏一族を捜査中であると、都留氏ともども牧田助役から聞かされる。
あとがきの二
六月十三日、牧田氏、都留氏同行、東水の尾へ車を走らせる。
なるほど万里の長城のごとくに蜿蜒《えんえん》として、見事な混凝土《コンクリート》の溝渠《インクライン》が走っている。彼方《かなた》の丘に見え隠れして、時々車窓近くに並行してくる。故青年が二度目に来た時には、混凝土《コンクリート》の底に、雑草が茂っていたと話していたが、今は溢《あふ》れんばかり満々たる急流を湛《たた》えて、矢のような勢いで走っている。
それを眺《なが》めていると、人|亡《ほろ》びて山河あ
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