井をみつめていたが、休むとも休まぬとも返事がなく口を開いた。
「……もう、私には……自分でも、生きてる日がそう長くないことは……わかっているのです。ついこないだも……ついこないだも……二十日くらい前になるかも知れませんが、こうして寝ていますと……真夜中の一時二時頃に、なっていたかも知れません。ギョッ! として、突然全身が凍り付いたような気がしました。先生、貴方の今座っていらっしゃる、そのスグ背後《うしろ》の廊下を……」
というのであった。
サ……サ……サ……サ……と幽《かす》かな音をさせて、……袴《スカート》の裾《すそ》でも、障子に触れるような音であったという。その静かな音をさせて、誰か二階の上り口から、こちらの方へ跫音《あしあと》を忍ばせて来る様子であった。
譬《たと》えようのない恐ろしさに、震えながら青年は息を殺していた。跫音はかすかにかすかに、段々に座敷の方へ、近づいて来る。
ス……ス……ス……ス……とそこの障子が少しずつ、少しずつ開き始める。
「確かに誰か、廊下に膝《ひざ》まずいて、引き手に手をかけている様子です。冷たい風が頬《ほお》を撫《な》でて、竦然《ぞっ》と襟元《えりもと》から、冷水《ひやみず》でもブチカケられたように……スウッと誰かが入って来たと思った瞬間、怺《こら》え怺えていた恐怖が一時に爆発して、
「誰だ、そこにいるのは!」
と夢中で精一杯の気力を奮い起しました。その声に驚いて、次の間から看護婦が飛んで来てスタンドを拈《ひね》っても、ただ、スタンドが天井に大きな影を投げているだけで、家の中は森閑《しいん》として、深夜の眠りを眠っているだけなのです。誰もいはしないのです。が、確かに閉めておいたはずのそこの障子が、半分ばかりあいているのを見た時には……。
「まあ、誰か知ら? あんなとこをあけて!」
と看護婦がびっくりして叫んだ時には、またゾゾーッと、頭から冷水をブチかけられたような気がしたのです、先生……私の家には、看護婦が二人おりますでしょう? 仰々《ぎょうぎょう》しく二人置いてあるわけではないのです。一人でいいのです……一人でいいのです……けれども一人でいるのなら暇を欲しいと、それ以来、看護婦が怯《おび》え切っていますので……」
そしてしばらく言葉を切って、胸を休めていた。
「……ジーナが来たのかスパセニアが来たのか……それはわかり
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