》は一頻《ひとしき》り雨が降っていましたが、この辺にも烈《はげ》しい夕立ちがあったのでしょうか? 空が曇って、低く雲が垂れて、しかもその曇った雲の切れ目から薄日が洩《も》れて、一際濃い彼方《かなた》の山の中腹から、麓《ふもと》を照らし出していたもの凄《すご》さ……凄《すさ》まじさ……その山を背にして、しょんぼりと松の木の下に立っていた二つの墓! 物心ついてからまだ私は、あんな凄愴《せいそう》極まる景色は見たことがありません。
もう、くだくだしいことは申上げませんでも、先生にはおわかりになるでしょう。私は道後《どうご》まで逃げて来たようなものです。道後まで逃げて来ても、まだ気が落ちつかず、父を促して東京まで逃げて来たようなものでした。
先生、私はさっきいいましたでしょう? ジーナやスパセニアの写真を五、六枚撮りましたけれど、その後二年ばかりたって、竦然《ぞっ》とするような事件のために身震いして、ことごとく燃やしてしまいました、と。その時に、みんな燃やしてしまったのです。そして、燃やすことのできない、銀の|襟飾り《ブローチ》だけは……あのスパセニアが、自動車の窓から投げ込んだ銀の|襟飾り《ブローチ》だけは、前の青葉通りのお濠端《ほりばた》へ飛び出して、青く澱《よど》んだ濠の中へ投げ込んでしまいました。
「私の病気はそれからまた悪くなったのです。……こういう呪《のろ》われた病気ですから、もう回復するわけはないのです。……二人に魅込《みこ》まれている……の……です……から……」
「私はさきほど、先生……貴方《あなた》に十年さきでも十五年さきでも結構ですから、もし向うへおいでになるおついででもおありになりましたら、どうか私に代って、このお墓を見ていただけませんか? とお願いしましたのは、このわけなのです。決して、お墓を拝んでいただきたいなぞというのではないのです。
世の中には、こんな事情で死ぬ人間もあるのだと……こんな事情で連れて行かれる人間もあるんだということを、先生、貴方にだけは信じていただきたくて……私の申上げた話がほんとうかウソか、わかっていただきたくて……それでお願いしたの……です……」
大分苦しい息遣《いきづか》いであった。
「……いかがです? しばらくお休みになったら……」
と私は勧めてみた。
「…………」
それには返事をせず、しばらくまじまじと天
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