に、いくら星は出ていても、この暗《やみ》の中さ、山ん中へ、あれから二里も三里も、弱い女の足で、どうして帰れるでやしょう? 足はともかくとしても、恐ろしくて若い女なぞに、どうしてあの山ん中へ……」
「でもこの辺は慣れてるといってた……」
「冗談じゃございません。いくら慣れてるとこだって、この真っ暗な晩に、人っ子一人通らぬ山ん中へ、三里も四里も……さっきそれを伺った時から、もうからだがゾクゾクして……ああ恐ろしい! こげんに恐ろしいこたアわしも初めてだ……」
 亭主の陰に身をちぢめて、内儀《かみ》さんなぞは生きた顔色もありません。
 ともかく、あの可哀《かわい》そうなお嬢さんを騙《だま》した薄情な大学生は、どうせ碌《ろく》な死に方はしまいという、村の評判だというのでしたが、
「旦那様がそのお方だとは、夢にも知りましねえで……ただ、村方《むらかた》でそういう噂《うわさ》をしとりますもんで……お気をお悪くなすっちゃ困るでやすが」
 と、亭主は気の毒そうな色を泛《うか》べました。
「でも、まあ、よく訪ねておいでになりました。これでお嬢様二人も、お泛ばれになりやすでしょう。それで、お二人で喜んで、そこまで送っておいでになったに違《ちげ》えごぜいません」
 と茫然《ぼうぜん》と考えてる私を、慰めてもくれました。
 そんな話のうちに、夜もふけて、やがて人々は別れ去って、私も疲れたからだをやっと蒲団《ふとん》に横たえましたが、どんなに私が輾転反側《てんてんはんそく》してその夜一晩、まんじりともせずに夜を明かしたかは、もう先生、貴方《あなた》にも想像していただけるであろうと思います。
 その晩、私の部屋では別段、明日の朝どうこうという相談もなかったように思いましたが、私の部屋を出た後ででも、あるいはそういう相談が纏《まと》まったのかも知れません。
 翌《あく》る朝眼が醒《さ》めた時には、怖《こわ》いもの見たさからか、好奇の色を泛べた村の若い者たちが七、八人、手に手に棍棒《こんぼう》や鳶口《とびぐち》を持って草鞋《わらじ》脚絆《きゃはん》姿で、その間には昨夜《ゆうべ》の石屋のオヤジもいれば、またその背後《うしろ》にいた三十二、三の男、宿屋の亭主も交じって、意気込んでいます。もし幽霊が出たら、それで切ってかかるつもりか、中には大きな鎌《かま》を持った男もいます。
 もちろん、幽霊などが出る
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