要も何もありません。この湖は一番深いところでも二丈ぐらいといわれていますから、透《す》き徹《とお》って湖底の礫《こいし》一つ、水草一本さえ数えられるかと疑われるばかり……スパセニアの死体が上がったのは、舟を出してから二時間余りの後だったというのです。
「おうい上がったぞう! てえ知らせでしたから、わっしも人の背後《うしろ》からのぞきこんだでやすが、それは綺麗《きれい》なもんでやした。どこにも怪我《けが》がなくて、足でも顔でも、透き徹るようで……美しいという評判の方でやしたが、まったく綺麗《きれい》なもんでがした」
 スパセニアの死体の上がったのは、湖の東南方、湖心に十五、六町ばかりのところでしたが、そこからまた十七、八町離れたところから、ジーナの死体も上がったというのです。
 二人とも死後二、三週間ばかりと推定されましたが、ジーナの方は、スパセニアと違って見るから無残に腐爛《ふらん》して……。
「ああ、見るもんじゃねえ、見るもんじゃねえ! いくら別嬪《べっぴん》でも、こうなっちゃお仕舞《しま》いだな!」
 と、さすがの刑事たちもスグ顔にハンカチをかぶせてしまったというのです。
「生きてなさった時は、妹さんに負けず劣らずの美しさで評判でしたが、死体は爛《ただ》れてフヤケテ、皮膚が剥《む》けて、もう滅茶滅茶《めちゃめちゃ》だという話でやした」
 おまけに、検診していた警察医が、大声を上げました。
「おう……殺《や》られてる……殺られてる……やっぱり殺られてる! 眉間《みけん》を撃たれてるぞう!」
 弾《たま》は額を貫通しているらしく、ベロリと皮の剥けた眉間のあたりに、ピンセットを入れて警察医は頻《しき》りに弾の摘出をしているらしい様子でした。
「見るな、見るな! といわれるだから、わっしはこの方はハッキリと顔を見たわけではねえでやすが、……両方とも屍体《したい》の上がったことも、撃たれて死んでるチュウことも、決して間違いのねえこってやす……」
 妹に撃たれて死んだという風評も、これで確実になったわけです。しかも当の妹の方も死体になってるのですから、噂《うわさ》の真偽さえ確かめればそれでよしということにして、どうせこんな山の中の警察では、もうその上の穿鑿《せんさく》もしなかったのでしょう。死体は解剖に回しもせずに、そのまま湖岸西北方の、例のマンガン鉱山を南に仰いだ小山の麓
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