。が、無人の境では、大声を上げることさえ何か空恐ろしいような気がして、私はまた起《た》ち上がりました。
もう一度引っくり戻って、あの立ちかけの地下工事場のあたりを探し、どうどうと飛沫《しぶき》を上げている断崖《だんがい》のふちまでいって見、最後には海水着の姉妹《きょうだい》と三人でもつれ歩いた、あの溝渠《インクライン》の傍らの小径《こみち》に沿うて、一キロばかり第一の曲り角のあたりまでもいって、空《むな》しくまた引き揚げて来た時には、私は疲れと暑さで、くたくたになりました。
滝のような汗がシャツを浸し、ワイシャツをグッショリにし、おまけにこういうことになろうとは、夢にも思いませんでしたから、また今度も昼食の用意はなく、腹は空《へ》るし、喉《のど》は渇くし、暑さで眼も眩《くら》みそうな気がしました。
前にもいいましたように、この年になるまで父母の溺愛《できあい》を受けて、ここまで旅行に出るということは、私にとっては容易な業《わざ》ではないのです。このまま東京へ帰ったら、いつまた来れるか見当も付かないのです。やっぱりみんな東京へいってしまったのか知ら? と落胆《がっかり》しました。
だが、来たついでだ! ようし! 今夜はこの村の役場のある水の尾村へ泊って、明日《あした》は役場へ行って、どこに住んでいるか調べてみよう。
そこでわからなかったら、明日はもう一度ここへ来て、その足で今度は大野木村へ行って、平戸から来ている開墾地の農家を訪ねて聞いてみることにしよう。それでもまだわからなかったら、一応父の許《もと》へ帰った上で、長崎の市役所なり、警察なりへ、照会状を出してみることにしよう。
そう心を決めて、陽《ひ》も大分傾いてきましたから、私は初めて来た時にスパセニアから教えられた、水の尾という村へ向って歩き出しました。いつか私が岩躑躅《いわつつじ》を折りながら降りて来て、突然子牛のようなペリッに咆《ほ》えられた、あの周防山《すおうやま》に並んだ樹木のこんもり生えた、山道へ分け入っていったのです。
陽は山に遮《さえぎ》られて、山は木が真っ暗に繁《しげ》って、その下をつづら折りに登って行くのですから、涼風は面《おもて》を打って、暑いことは少しもありません。が、草臥《くたび》れ抜いたからだに、これから四里の道はまったくうんざりします。でも、仕方がありません。疲れ切った足
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