クソもあったものではありません。それからは一直線に長崎へ! この前は、島原から雲仙《うんぜん》へ出て、山道を歩いて東水の尾へ出ましたが、これは偶然のまぐれ当りです。今度はもう道を知っていますから、長崎からまっすぐ小浜《おばま》へ! そして一刻も早く二人に逢いたい一心に、気もそぞろにタクシーを急がせて、大野木村を経て、あの二年三カ月前に、三人で馬を並べて下った四里の道を、今度は逆に東水の尾へ登っていったのです。
この前のとおり、大野木を出端《ではず》れるともう、人っ子一人の姿も眼に入りません。登るに従ってやがて車の左側に、例の混凝土《コンクリート》の溝渠《インクライン》が蜿蜒《えんえん》と列《つら》なっているのが見えます。山の陰に隠れたり、また姿を現したり、さらに半道ばかりもいったところで、道は一町ばかりこの溝渠《インクライン》と並行して走ります。そして一段低く、溝渠《インクライン》の中は、車窓から見下ろせます。
おや! と私は眼を瞠《みは》りました。この前三人で水遊びをしたのは、六月の始め頃、飛沫《しぶき》を浴びるとまだ鳥肌だつ頃だったのです。今は七月も過ぎて八月の五日……茹《うだ》るような暑さです。溝渠《インクライン》はさぞ満々たる水を湛《たた》えて走っていると思いのほか、なんと一滴の水もなく、カラカラに乾き切って混凝土《コンクリート》の底は、灰色の地肌《じはだ》を見せているのです。しかも底には処々黒い土がこびりついて、そこには雑草が生《お》い茂っているのです。ということは、ここ半年にも一年にも、水なぞは一滴も通ったことがないという証拠です。どうしたんだろう? と私は名状し難い不思議な気持に打たれました。
溝渠《インクライン》はまた道から離れて、やがて山の向うに入ってしまいました。そして、車はいよいよ雑草の茂るに任せた、高原地帯へ踏み入って来ました。右手|遥《はる》かに海が咆《ほ》え、やがて断崖《だんがい》の上に張りめぐらした鉄鎖《てっさ》らしいものが眼に入ってきます。
「そうだ! そこを左の方へ曲って……もうちょっと行ったところで……そこだそこだ! そこを右手へ曲って、もう一度左へ行って……」
「この辺にゃ、誰も住んじゃいねえんですかい? ……酷《ひど》く荒れたところですな……こんなところは来たこともないが、旦那《だんな》、こりゃ何方《どなた》かの、地所内
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