ラビア》文字とも」は底本では「亜刺比亜《アラビア》文字とも」]つかぬ日本にない大変な恰好《かっこう》の片仮名が交《まじ》って、おまけにあちらこちら消しだらけなのですから、いくら懐かしがってみても、どうしてもその意味がわからないのです。向うでも私の手紙を見て、頭をヒネッテいたかも知れませんが、私も二人の手紙を見てわけがわからないところばかり、両方で苦労しながら、とんちんかんな手紙のやり取りばっかりしていました。
 この頃では二人とも苛《じ》れて、六蔵か馬丁《べっとう》の福次郎にでも書かせるのか、時には一層読めぬ、恐ろしくたどたどしいくせに、妙にいかめしい葉書が飛びこんで来てみたり……、逢《あ》えばわかるんだとばかり、到頭私はこの面倒臭い手紙に匙《さじ》を投げてしまいました。姉妹《きょうだい》からは、相変らず手紙の催促が、時々来ます。が、ただ幸いなことには、このたどたどしい字のお陰で、いくら手紙をよこしても、母には、姉妹《きょうだい》の年の判別だけは少しもつきませんでした。
「オテガミクダサラナイノデ……ワタクシタチ……マイニチシンパイシテオリマス……ドウナサツタノ……デスカ……」と判じ判じ読んで、オホホホホホホホと、母は笑い出しました。
「お前の御厄介になっていた石橋さんとかいう外国帰りの技師の方のお家には、可愛《かわい》いお嬢さんがいらっしゃるとみえるね。おいくつ? ……一年生でもないだろうけれど……自分で葉書が出せるんだから、尋常二年生くらいか知らねえ……?」
 と見舞いに来た母は、枕許《まくらもと》の葉書を取り上げて、可愛らしがっていました。尋常二年生どころか! この笑っている母が、実物を見たが最後、いずれも花を欺《あざむ》くような美しい混血児《あいのこ》と知ったら、腰を抜かしてしまうだろうと、私は苦笑せずにはいられませんでした。
 飽き飽きするほど、退屈な病院の生活から解放されて、やっと私が家へ帰ったのは、その年の暮れ頃でしたでしょうか? 大晦日《おおみそか》近くに帰って来て、翌年の三月時分頃まで家でブラブラして、四月の新学期から許されて、やっとどうやら学校へも通えるようになりました。が、学校へ通えるようになった私の第一の喜びは、自分の健康の回復したことでもなければ、また学業が継続できるということでもありません。おそらく親は私の深い心の底は知らなかったでしょう
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