けれど、起きられるようになって有難い! 今年こそあの二人にも逢《あ》いに行けるぞ! ということばっかりだったのです。
病気のことばかりクドクド申上げて、先生はおイヤだったかも知れません。もう簡単に切り上げますが、そうして夜となく昼となく思い詰めながら、二度の夏を……一昨年《おととし》と去年と、二度の夏を送ってしまったちょうどその時分から身辺に時々妙なことが起ってきたのです。
四月の新学期からまた学校へ通っていましたが、ある日探したい本があって神保町《じんぼうちょう》の東京堂までいったことがありました。あすこは狭い通りに混《ご》み混《ご》みといつも人が雑踏しているところですが、今店へ入ろうとした途端、呀《あ》っ! と思わず叫びを挙げました。スグ前の人混みを行く五、六人連れの向うに、一人の婦人が! おう! ジーナだ、ジーナだ! ジーナが歩いている! と私は躍り上がりました。どんな服を着ていたか覚えもありませんが、繊細《ほっそり》とした腰といい、縮れた亜麻色《ブロンド》の髪……恰好《かっこう》のいい鼻……口……横顔……ジーナそっくり、いいえそっくりといったのでは当りません。間違いもないジーナその人なのです。決して、私の見誤りではないのです。
なぜ一言《ひとこと》の知らせもなく、東京へ来ているんだろうか? 東京へ来ていながら、知らせてくれもしないのか? もうそんなことは、考える余裕《ゆとり》もありません。
「ジーナ」
と夢中で人波を分けて、追いかけました。
私のところから幾らも離れてはいないのです。直径《さしわたし》にして、ほんの五、六間ぐらいのものだったでしょうか? 笑いながら道を塞《ふさ》いでいる四、五人連れの大学生の間を摺《す》り抜けて、手を曳《ひ》かれた子供を突き飛ばしそうにして、あっちにブツカリこっちを摺《す》り抜けた時には、ジーナはまた五、六間向うを歩いて……。
「ジーナ、ジーナ」
と見栄《みえ》も外聞もなく大声を上げて、やっと角《かど》の救世軍の煉瓦《れんが》建ての前あたりを歩いているところへ追い着いた時には、どこへ曲ったのか? フッとその姿は消え失《う》せてしまいました。どこかの家へ入り込んだのか? と、その辺の店をのぞき込んでみたり、横丁へ駈《か》けてってみたり、また引っ返してしばらくはぼんやりと、狐《きつね》につままれたように、そこに佇《たた
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