きないのです。
 漢字はもちろん、平仮名さえムズカシクテ、一字も読めません。わずかに、片仮名だけがどうかこうかわかる程度……、尋常一年生の書いたような字で、一時間もかかって、やっと七、八行も綴《つづ》り得る程度だったでしょうか? その代り仏蘭西《フランス》語なら本国語同様自由自在でしたが、その仏蘭西語は私にわからず、私にわかる英語、独逸《ドイツ》語はまた二人に通じませんし、手紙となっては、いかんともお互いに意思の通じようがないのです。仕方がありませんから、どうかこうか通じると思われる片仮名で、私は看護婦にも頼み、自分でも時々手紙を書いてみました。
 が、本字を一字も使わずに、片仮名だけで書くということが、外国語を使うよりも、どんなにムズカシクテ、はかの行かないものであるかということは、先生もよくおわかりでしょう? 二、三字書くと、本字が出て、慌てて消し、また三、四行続けると、本字や平仮名が出てその部分を消し、消しては書き、消しては書きして真っ黒になって、仕方がありませんから清書して出すのですが、これでは到底詳しい事情や、こまかい意思なぞの現わせるものではありません。
 ワタクシハマタベウキ……ハはワでなければならず、病気もベウキと書いては、二人には判じられないのです。ビヨウキと直さなければなりません。ココノベウインニニユウインシテイマス……ただそれくらいのほんの切り詰めた用件を知らせるだけが、精一杯です。
「ベウインじゃ駄目だ、ビヨウインと書かなきゃ駄目だといってるじゃないか!」
 と、何度|癇癪《かんしゃく》を起して、私は看護婦をドナリつけたか知れません。
 早く逢《あ》いたい! 逢いさえすれば、アレもいおう、コレも話そう……ついでに、片仮名で手紙の書けなかったわけも話そう……と諦《あきら》めて、私はペンを投げ棄《す》ててしまいました。逢って話しさえすれば二人ともほほえんで、造作なくわかってくれることなのですから……。
 そのワタクシハの、ハの字を消して、ワと書き直して、ワタクシワマタベウキを消してビヨウキと書いて、コノベウインヘをまた消して、ビヨウインエ……と直した消しだらけの手紙を出すと、ジーナやスパセニアからもまた、お手本でも見て書いたらしい、尋常一年生のような手紙が来ます。
 時々、ABC《アルファベット》とも亜剌比亜《アラビア》文字とも[#「亜剌比亜《ア
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