ラウスだったか、バタルチェウスカの乙女の祈りだったかを弾き出されました。もう今の三浦嚢の曲なぞには、一言の感想をはさまれるでもなく、ただこんな厭《いま》わしい曲の記憶なぞは、一刻も早く拭《ぬぐ》い去ってしまいたいと思っていられるかのように、新しい曲に老いの情熱を籠《こ》めていられるばかりでした。そして先生の瞳の色にも身体のこなしにも、さっきまでの鬱陶《うっとう》しい風はもう微塵《みじん》もなく、生き生きとして指を動かしていることを、楽しんでいられるように思われます。
初めて煙草《たばこ》に火をつけるものもあれば、耳語を交わすものもあり、何かしら吻《ほ》っとした空気が座には感じられました。が、
「棚田氏は今どこにいるんですか?」
と側《そば》の人に聞いてみたら、
「……あの人は今確か東京高裁に勤めてられるはずだと思いましたがね」
と言う返事だったのです。なぜ教授がこれは大変な曲だと驚かれたのか、そして、この作者はもう長く生きないでしょう、と言われたのはどういう意味だったのか? その後間もなく教授も日本へ帰って、相変らず上野で教鞭《きょうべん》を執《と》っていられましたが、職業も違い
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